《内》と《外》という認識を利用して症状を除く方法
今回の記事は、自らの《内》と《外》という認識を利用して、症状を排除する方法をお話しします。この方法も、このサイトで紹介している他の方法と同様、管理人が病気だったときに身に着けた方法なのですが、病気の克服に大きく役に立ったと思っています。
要は症状が自らの《内》からものか、《外》からのものかという認識の違いを利用して、体の外に除外していくという方法なのですが、抽象的なお話しをしてもわかりにくいので、私が病気だったときの具体的な体験をもとに、以下紹介したいと思います。
病気だったある日、外出もままならず家に閉じこもりがちだった私は、家族の付き添いを受けて、木々の生い茂る自然の中を散歩していました。深い森の中で周囲に人はほとんどおらず、本来であればいわゆるオゾン効果、森林浴という言葉もあるように、この環境を心地良く感じるものです。
しかし私の心と体は、そのような周囲の状況とは裏腹にいつもと変わらずとても重く、体に何か纏いついているような不快な感覚がありました。それは木々に囲まれた自然の中に身を置いたところで変わりませんでした。
《外》の澄んだ空気を吸って、体の《内》の不快な感覚を息とともに吐き出す。このように周囲の良い気を取り入れて、体の気を入れ替えるという方法も聞いたことがあって、このときも試みました。場合によってはこの方法で効果を感じることもあったのですが、このときは残念ながら心身の状態に変化はありませんでした。
むしろ《外》の清々しい環境の影響を受けないということが、対照的に自分の《内》なる心身の重苦しさを浮き彫りにしているように感じられました。そして影響を受けないという事実が、自分の心身とはそういうものだという認識を突きつけられているようでした。
結局このときの自然散策は、家族からの好意にも関わらず心身の状態は改善せずに終わってしまいました。しかしこのときの体験は後日、以下の気づきをもたらしました。
散策しているときには、《外》の清々しい環境が自分の心身を癒してくれると期待し、《外》の清々しい気を取り込むことで、自分の心身という《内》もそのように変化してくれると期待していました。
しかしこの認識が、自分の状態を変化しにくいものに固定してしまっているのではないかということです。つまり、自分の心身とは重苦しいものであって、《外》からの影響によって変化するという認識です。
そこで認識を変えて、不快な感覚は《内》ではなく、《外》から来ると感じている清々しさと同様のものが、本来の自分の《内》にあり、そして不快な感覚というのはこの本来の《内》から見れば《外》のものであり、自分の《内》から来るものではないと認識してみます。
心身で感じている感覚とは反転した認識となるのですが、結論から言えば私の体験上、この方法はかなり有効だったと思います。重苦しく不快な感覚が自分の《内》から来るもの、自分自身に内在するものと認識し、またそれが自分という存在に対する認識のベースとなっていたため、散策で試みた《外》の清々しい気を取り入れる呼吸を行っても、効果を感じられなかったのかもしれません。
そして単に認識を変えるのみならず、清々しいという感覚が自分の《内》、体の中心から広がっていくように感じてみる、という体感を利用する方法でもあります。例えば、過去に感じたことのある清々しい感覚を想起しながら、それが自分の《内》に本来あるものであり、その感覚が体の中心から不快な感覚を《外》へ押し広げていくように感じてみるというものです。
単に認識を変化させるのみならず、このように自らの体感と照らし合わせて行うことがポイントです。森林浴のような自然環境に身を置いたときの体感でも良いと思いますし、私の場合は神社が好きで、特に人気のない早朝の爽やかで、静寂で凛とした感覚を思い出してよく行っていました。
さて、今回の方法の紹介は以上となります。自らの《内》と《外》という認識を利用して症状を排除する方法をお話ししてきましたが、いかがだったでしょうか。
なお上記の方法は、メイン記事「うつ病、パニック障害で心を揺らがなくする方法」(→記事)を既にご覧いただいた方はお分かりになると思いますが、こちらの記事で紹介している方法につながっている部分もあります。
今回の記事が皆さんの参考になるところがあれば幸いです。ご覧いただき、ありがとうございました。