うつ病、パニック障害で心を揺らがなくするために

2021年3月21日

このサイトは、私こと管理人が、うつ病、パニック障害を克服する際に体験、修得したさまざまな方法を紹介しています。当然ですが、実際に体験し、効果を体感した方法を紹介しています。

以下、サイトの構成です。

紹介している方法の「ポイント」を青いボックスで示し、その部分を見れば方法がわかるようにしています。

▸ 「ポイント」について、管理人が行った際に気づいた点などを「管理人の補足」として水色のボックスで紹介しています。実際に行うときなど参考にしてください。

ご覧いただく際に参考にしていただければと思います。

以下は、この体験談(1)の目次になります。
(クリックすると該当の項目に移動します。)

はじめに

目次をご覧になって驚いた方もおられるかもしれません。

方法として挙げられているものが、よくある心理学、脳内物質といったアプローチではなく、一般にうつ病、パニック障害と関連づけて語られることのないものだからと思います。中には誤解を招きそうなタイトルのものもあります。

しかし、そうした方法も、あえて取り上げています。
それは、管理人自身が、これらの方法を通じて、うつ病、パニック障害を克服したと自信をもって言えるからです。

そして、紹介している方法は数年かけて知り得たものですが、これらの方法を最初から知っていれば、うつ病、パニック障害の苦しみをもっと短い期間で抜けられたかもしれない、あるいは苦しみを軽減できたかもしれない、と思うからです。もしこれらの方法を知らなければ、克服するのにもっと長い期間かかっていたか、克服できてなかったかもしれません。

また、紹介する方法は、特定の分野のものを系統的に、というよりも、いろいろな分野のもので、取り掛かりやすく効果があるものを取り上げる方式にしています。管理人自身、それぞれの分野を体験していったというのもありますが、分野によって、体感上の違いというものがあり、人によって好みが分かれると思ったからです。

どの方法が有効かは個人差もあるかと思いますので、いろいろな分野の方法を、体感して効果があったと感じたものを、紹介していきたいと思います。目次の項目はどれも独立した内容なので、興味を引いた項目からご覧いただいても構いません。

ただ、管理人自身、うつ病、パニック障害を完全に克服して、再発の恐れも感じられないという点では、目次3にある「内なる神」の認識が、一番重要なポイントだと感じています。このため、一番最初に取り上げています。

こういった話について敬遠される方にもできるだけ抵抗感がないよう、うつ病、パニック障害を根本から抜け出し、克服する“方法論”としてお話をするようにしています。さっとでも目を通していただければと思っています。

なお、紹介している方法に抵抗感がある方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、どれか1つでも試しに行ってみて、自分の心や体で効果を確認しながら、ご判断いただければと思います。紹介しているほとんどの方法は、無料ですぐにできるものです。

また、体験した方法は、今回紹介したもの以外もあります。今後、記事を更新していくので、参考いただければと思います。

”方法論”としての「内なる神」

このタイトルを見て、何か信仰に関する内容と捉えた方もあるかもしれません。あるいは、こうした話題に抵抗感がある方もおられるかもしれません。そういう方は、うつ病、パニック障害を克服する“方法論”と捉えて読んでいただければと思います

なお、具体的な方法の紹介は、次の項目(気功)からになりますので、場合によってはわかり易いそちらから読んでいただいても構いません。

なぜこの話をするかというと、管理人自身の体験上、うつ病、パニック障害の“完全な克服”という点で言えば、最重要ポイントであるためです。以下、順に説明していきたいと思います。

(1)うつ病、パニック障害のときの人間観、自己定義など

うつ病、パニック障害のとき、管理人は症状のつらさ、社会からの圧迫感、ストレスなどから、以下のような心に対するイメージ、そして人間観を持っていました。

心に対するイメージ
・思い通りにならない、大変なもの
・深層心理には、自分でもわからない感情がある、暗くドロドロしたイメージ

人間観
・悩んだり、もがいたりすることこそ、人間の存在というもの。
・死んだら終わり。存在の意味も感じられない。虚無主義(ニヒリズム)。
(巷では、人間は死があるからこそ、現在を大切に生き生きとすることができる、
という考えもありますが、私はそれに納得ができませんでした。)

悩める人間、などといえば、近代小説などによくある題材ですが、一般の社会でも、こうした人間観を目にすることはよくあります。
また、うつ病の状態だと、とかくこうした人間観を抱きやすいのかもしれません。

さらに、こうした心のイメージ、人間観というのは、自分の心、自分という人間を通して感じたものなので、自分という存在の前提の定義でもあります。

しかし、ここであえて結論から申し上げると、これは克服した後の感想でもありますが、そうした心のイメージ、人間観をもとに自己定義をしていると、うつ病、パニック障害は克服しきれないのではないかと感じます。

例えば、人間とは悩む存在なのだ、という人間観を持っていて、それを前提した自己定義を持っていたとします。悩む人間といえば、悩んでいる状態の感情、悲しみ、怒り、不安といったものが発生します。逆に、そうした感情を持つ悩む人間というのが人間の存在だ、ということを含んでいるかもしれません。

自分の意識では、そうした悲しみ、怒り、不安といった感情が嫌だと思っていても、潜在意識でそうした悩める人間、というのを前提にしていたらどうなるでしょうか。たとえ薬などで一時的に感情を抑えても、同じような感情が、繰り返されてしまうのではないでしょうか。

これを一口で言えば、心のイメージ、人間観、それを前提とする自己定義から抜け出せず、それまでと同じような思考方式、感情が繰り返されてしまうということです。

また、管理人の自己定義は、以下のような相対的な形でしていました。

自己定義の仕方
・他人の評価、社会の評価が言う自分で、「自分とは何者か」を決めている

例えば、仲間内での自分のポジショニング(立ち位置)ですね。それが「自分の存在」だと思っていました。なにも特殊ではなく、このように自己定義をしている方は多いのではないかと感じます。

管理人の場合、うつ病、パニック障害のときは、特にこの傾向が強く出ました。

・人の中にいると緊張する
・他人の視線、自分に対する評価を非常に気にする

もうこうなると対人恐怖の一歩手前ですね。こうした自己定義の在り方の問題点は何か、といえば、①自己定義の基準が自分以外にある、そして②その基準自体が常に変化する、ということです。他人の評価、社会の評価というのは、有形無形の出来事で、ころころと変化します。不安定、不安な状態になるのは当たり前とも言えます。いつも緊張状態になるのも、それが原因かもしれません。

(2)体感を通じた認識の変化

管理人の場合、上記(1)の状態を脱する転機となったのは、うつ病、パニック障害の苦しさから、藁にもすがる思いで始めた気功の実践を発端に、神道の修行をしたり、インドのサイババに会って講話を聴いたりしたことです。唯識学という仏教哲学の研究をしたこともありました。

そうするなかで、先ほどの人間観や自己認証というのは、根本的にずれているのではないか、と感じるようになりました。それは頭で理解した、というよりは体感、体得の部分もあります。

気功をすれば、確かに気を感じる。
古神道の修行で、神社の御神前で祝詞を奏上すれば、御神気を感じる。

それらの体感を通じて、“人間というのは、この肉体、物質のみの存在ではないのではないか”
と感じるようになりました。

また、人間の心についても、例えば、奉仕活動で人のための活動をしたとき、心に爽やかな心地よさを体感することがありました。
それは”もともと心に、善いことに感応する性質があるからじゃないか”、と感じるようになりました。

中には、悪い事をして心地よさを感じる場合もあるじゃないか、と批判する方もあるかもしれません。でもそういう場合、本当に心の底から、何のわだかまりもなく心地よいと感じたのだろうか、それは善い事に感じる爽やかな心地よさと同じものだろうか …
そうでないなら、人の心は、本来は、善なのではないか、と。

それらの体験や研究を通じて、ひとつのテーマに行きつきました。それは、人間の内には神性があり、人間存在の本質はそれである、という認識です。

藪から棒になんだ、と思う方もおられるかもしれません。あるいは、スピリチュアルな世界になじみのある方は、そんなことかと思われたかもしれません。人間の本質が神(あるいは仏)である、というのは、古今東西の哲人、宗教者によって言われてきたことでもあり、特段にめずらしいことではありません。

しかし、うつ病、パニック障害の克服した現在から見ても、この認識こそ、一番重要なものじゃないか、と感じています。この点について、次の(3)で、うつ病、パニック障害の克服にあたってどういう効果が体感されたかという観点から、“方法論”として、述べてみたいと思います。

(3)”方法論”としての「内なる神」

ここではうつ病、パニック障害を克服する“方法論”として、「内なる神」を認識する効果を述べていきます。管理人の場合には、体感を通じた認識の変化によって「内なる神」という認識に達しました。

体感を通じた方が、単なる知識として理解したというより確信的なので、認識のぶれがなくなるという点での利点はありますが、「内なる神」を認識した場合の効果としては、結果として変わりないのではと思っています。

以下が「内なる神」ということのポイントとなります。

ポイント・自分の本質は、神(神性)であることを認識する。
・神性とは:神聖、不変不壊、真善美、清浄、完全、愛、平安、無限の性質
管理人の補足・うつ病、パニック障害の状況は自分の“本質”を見えなくしているだけで、自分の本質は神性なのだという認識を固く持ちます。それによって、船に例えるなら、揺れが各段に小さくなるとともに、神性に碇を下すことで、どういう状況であろうとも、自分という存在がどこかに流されることがなくなります
・神性として挙げているのは、多くの書籍などを通じて述べられているものを列記してい ます。“神”と表現しただけでは、尊い存在、完全な存在であることは連想されますが、“方法論”としてより認識をしやすくするため、記載をしています。
・うつ病、パニック障害の克服という点では、管理人の体験では、「不変不壊」と「清浄」 がポイントでした。自らの「清浄な本質」は、病気になる前から、あるいは今後もずっと決して変化したり、壊れたりしない、という認識です。心や体の不快感に意識が向かいがちになるのですが、まとわりついているだけで自らの本質とは関係がないものと認識して、自らの内にある「清浄な本質」に意識を向けるようにしていました

一つ注意していただきたいのは、「内なる神」という存在が何か観念的に作り出されたもの、あるいは心でイメージされたもの、というわけではないということです。自分の内にもともとあるものを確認した、という方が適切かもしれません。

なかなかそうは思えない、という方には、次のように考えてみることをおススメします。
論理的には神の存在というのは存在するということも、存在しないということも、どちらも証明することができません。いわゆる論理的には不可知、わからないというのが正しいですね。

しかし、科学としては、わからないものに対しては一定の仮定、仮説をもって世界を構築していく、ということをします。それと同様に、“内なる神が存在する”という仮定をもって、世界を構築してみるということです。

そのうえで、うつ病、パニック障害を克服する“方法論”として、それが自らの心、体にどういう効果をもたらしたかを検証してみる、ということです。自分の心や体の声を聴きながら検証してみる、ということですね。それが“方法論”としての内なる神、ということです。

この内なる神という“方法論”の効果ですが、管理人の体験上では、管理人自身、この認識を得てから、心のあり方が変わり、徐々に回復する方向へ向かっていったと感じています。そして、現在では、ごく日常の感情としての悲しみなどは一時的にありますが、いわゆる病的な心の状態、うつ病、パニック障害の症状は、以後、23年間、事実としてまったく顔を出していません

そして、もう1つは、この認識を得てから(1)で述べた自己定義のあり方が、根本的に変わったため、徐々に心が大きく揺らぐことがなくなっていきました

それは、この認識によって、自らの心に対する認識、人間観が根本的に変わっており、また、自己定義のあり方も、他人の評価、社会の評価といった相対的な基準ではなく、“自分の本質は、内なる神性である”という自己定義になったためだと感じています。

この自己定義は、内なる神の認識を持ち続ける限り、変わることはありません。また、この自己定義自体が、神性という最高度の状態をもとにしているため、人間の価値観による自己定義と比べて、絶対的に安定していると言えると思います。また、それを“本質”として認識しつづける限り、心を重い闇に落ち込ませない“浮力”としての効果があると感じています。

最後に、ここまでうつ病、パニック障害を克服する“方法論”として、内なる神を述べてきましたが、その元として、特に影響を受けたものを簡単に紹介します。

古神道
人間には、神の分霊である直日霊(なおひのみたま)があって、決して汚れず神の霊光が宿っている
▸黒住宗忠
人間の心は天照大神の分心であり、天照大神と一体である
サイババ
人間のアートマ(真我)は、不変の神であり、肉体の変化など一切の影響を受けず、常に純粋、神聖である
中村天風
人間の心は、宇宙霊(神仏)とつながっている

言葉上の表現は、時代や文化によってさまざまですが、共通するのは、人間の内には神(あるいは仏)が宿っているということです。

これらの内容に関して、さらにお知りになりたい方がありましたら、おススメの本を別の記事関連書籍の紹介で紹介していますので、そちらをご覧ください。

また、“内なる神”をもとに心を統制する具体的な方法を、体験談(2)で紹介していますので、あわせてご覧いただければと思います。

ソーハム

内なる神に心を落ち着かせる方法としての第1弾はこちら、ソーハムです。

インドの聖者サティア・サイババをご存じでしょうか?
一時期、非常に話題になって多くの書籍も出ていますので、ご存じの方もいらっしゃると存じます。

インドでは元首相をはじめ要人の信奉者も多く、先年、亡くなったときにはインドで国葬になったという経緯もあります。私はうつ病が苦しんでいたとき、インドに2回ほど会いに行きました。

その顛末はここでは割愛しますが、サイババが提唱する心を統制する方法で、ソーハムというものがあります。もともとはヨガにもあるそうですが、私はサイババのお話で知りました。

その方法とポイントは、以下のとおり。

ポイント・人は息を吸うときにはソー、吐くときにはハムという音がしている。
・ソーは神、ハム(アハム)は私という意味。
・呼吸を一息するごとに、神、私、神、私と言っている。
管理人の補足・息を吸うのに合わせて「ソー(神)」、吐くのに合わせて「ハム(私)」と心で唱えます。そして、呼吸と声に意識を置くようにします。
・管理人の場合は、心に不安があったり、悪い想念が離れないときにこれをすると、心が落ち着いてくる感覚がありました。
・神、といっても漠然とする場合は、体験談(1)で“神性”として挙げたものを、息をソーと吸うときに意識してもよいかと思います。例えば、“不変不壊”、“清浄”といったことです。あるいは、自ら信仰がある場合は、その神仏でもよいかと思います。

この方法は、いつでもどこでも、いまこれを読んでいる瞬間にもできる方法です。

そして、自分の内には神があるのだ、神と一体なのだということを、呼吸の体感とともに思い起させてくれます。うつ病、パニック障害にある自分は“本質”の自分ではなく、自分の“本質”を覆い隠している単なる現象にすぎないなのだ、ということです。

管理人の場合は、「管理人の補足」にあることと合わせて、ソー(神)と息を吸うときに、浄化されたエネルギーが入ってくるよう、ハム(私)と吐くときには体中に溜まった悪いエネルギーが息とともに出ていくようにしています。

こういったことも、自分で行って体感しながら、自分にあった形を試してみてください。

ナマスマラナム

サイババが心を統制する方法として提唱するものを、もう1つ紹介します。
ナマスマラナムというものがあります。

インドの言葉なので、聞きなれないカタカナでとっつきにくいと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、その内容はいたってシンプルです。

方法のトピックは、以下のとおりです。

ポイント・神の御名を心の中で繰り返し唱えて、意識を置く。

管理人の補足・神の御名といっても、特に信仰がない場合は、体験談(1)で神性として挙げたものでよいかと思います。例えば、”完全なる神“、”清浄なる神“といったことです。あるいは、お参りする神社がある場合は、その御祭神の御名でもよいのではないでしょうか。
管理人の場合は、伊勢に参宮するのが好きなので、
“天照大御神(あまてらすおおみかみ)”と心で繰り返し唱えるようにしていました。
「意識を置く」とは、心の中で唱えると、通常、自然にその言葉に意識を置く形になりますが、心に悪い想念などがあったり、体に苦しい症状などがある場合、意識が引っ張られる場合があります。そうした場合には、意識が自ら唱える心の声から離れないように置くということです。
・管理人の場合、心から不安が去らないとき、心から悪い想念が離れないときにすると、次第に唱えている神と一体であるという安心感、心が鎮まる感覚がありました。
・あくまで心の「内なる神」に向けて唱えるという感覚で唱えます。自分の「外にある神」におすがりする、という感覚ではありません。自らの“本質”である「内なる神」が、うつ病、パニック障害という現象の奥から姿を現し、自分を救ってくださるという感覚です。内に向かって唱えるか、外に向かって唱えるかでは、体感上、大きく異なるように感じます。

先ほどのソーハムと同様、こちらも内なる神との一体感を、心の声とともに思い起こさせてくれます。そして方法自体もわかり易く、特に難しいものではありません。

いつでもどこでもできる方法ですので、ぜひ試してみていただければと思います。

愛を”見る”

体験談(1)の神性のひとつに、このタイトルの”愛”を挙げていますが、うつ病、パニック障害を克服する“方法論”として、体験上、“愛”というのはキーワードにあたると感じます。

管理人がうつ病、パニック障害だったとき、自分が望んだわけではないのですが、心のほとんどを悪い出来事、人間関係、過去の記憶などによる悪い想念、不安、妄念が占めていて、見える世界は、どこか殺伐とした世界でした。

それもあって、うつ病、パニック障害のときは、“愛”というものに対する感受性が非常に低くなっていたのではないかと感じます。それは、何かその部分のセンサーが壊れてしまっているような感じです。この“愛”という単語すら、心に思い浮かばない状態だったかもしれません。

しかし、体験談(1)でも述べたように、”愛“は「内なる神性」として、自分の中に“本質”として内在するものです。ここで紹介する方法は、それを思い出させて、その感受性を回復する方法だと言えます。

今回、“愛”に特化した形で紹介するのは、管理人の場合、うつ病、パニック障害の症状の緩和に非常に効果があると感じたからです。そして、うつ病、パニック障害の克服に大いに役立ちました。

方法自体は、非常にシンプルです。本当にそれで効果があるのか、と思われるかもしれませんが、ぜひ試してみてください。

ポイントは、以下のとおりです。

ポイント・“愛”の眼鏡をかけて世界を見る

管理人の補足・ここで紹介している方法は、人や出来事といった個別の事柄に“愛”を見出していく、“愛”と解釈して捉えるようにしていくという方法とは、異なります
自分が見たり感じたりしている世界を、そのまま“愛”の現れとして見るということです。常に、この世界の存在そのものが、“愛”の現れであると見るということです。例えば、1人でいるときも、街を歩いているときも、世界をそのように見るということです。常に“愛という眼鏡をかけている”という感覚です。
・管理人の場合、世界をこのように“愛”を見るようにすると、実際に、自分のまわりに、あたたかく、やわらかな“気”のようなものが、常に自分を包んでいるような体感がありました。また、そのような“愛に包まれている”という感覚は、自らの心を非常に安心させる効果が感じられました。

言うまでもないことですが、ここでの“愛”は、必ずしも物質的、肉体的な情愛に限らず、広い意味のものです。

管理人の場合、このように“愛”として世界を見たとき、体の緊張がゆるむとともに、暖かな気に包まれている感覚が自然と体感されました。そして、胸のあたりで、体の気の流れを阻害していた詰まりがとれて、手足の冷えや、体全体の気の流れが良くなったように感じました。表現が難しいのですが、固く冷たくなっていた心に、気が通りはじめた、という感覚です。そういう意味では、心にダイレクトに効果がある方法なのかなとも感じます。

体の緊張がゆるむ、ということの関連で言えば、人の中にいると呼吸が浅くなる、過換気症候の改善もありました

この方法は、サイババの書籍にあったトピックの文言「愛という眼鏡をかけて世界を見る」というフレーズがきっかけとなりました。その言葉どおり世界を見たところ、体感的な変化をすぐに感じることができたためです。変な言い方になりますが、この“愛”という言葉の威力は凄いものだと体感しました

この“愛”という言葉は、キリスト教でも最も重要なキーワードであり、仏教でも同様の内容を指す“慈悲”、儒教では“仁”といった言葉が、やはり重要なキーワードになっています。世界の様々な文化によって表現は異なりますが、いずれでも重要なものと扱われていることは、注目に値することだと思います。

体験談(1)にある”方法論“としての「内なる神」において、人間の本質は神性であり、”愛“もそうでした。この自らの本質は”愛“であるという”方法論“とセットで、ここで紹介している「愛という眼鏡で世界を見る」ことをしてみてください。

ぜひ試してみていただければと思います。


〔参考〕 胸のチャクラ(アナハタチャクラ)

チャクラというのをご存じでしょうか。インドの言葉で、人の体には、頭から縦に並んで7つのエネルギースポットがあると言われています。ヨガをされている方などは、ひょっとしたらご存じかもしれません。

それぞれの詳細は割愛しますが、胸のみぞおち上部にある胸のチャクラ(アナハタチャクラ)は、愛と調和の性質に関係していると言われています。

管理人は、うつ病、パニック障害だったとき、いつも吐き気があって、この辺りに灼けるような不快感がありました。胃液が逆流しているような不快感です。肉体的に見れば、それは単なる食道、胃の不調ということになるのだろうと思いますが、内科で検査しても何の異常もありませんでした。

実際、内なる神と「愛」を見るということをしてから、胸の詰まりがなくなって体全体に気がめぐるようになり、これらの症状は軽減する感覚がありました。一般的には、「愛」という性質と、こうした肉体の症状を関連づけて考えないかもしれませんが、果たしてそうなのだろうかとも感じています。こちらはご参考まで。

空(くう)

“空”は、仏教思想の用語で有名なものです。ここではうつ病、パニック障害の方法論という点でお話したいと思います。

管理人は、うつ病、パニック障害だったとき、自分の周りにある存在が、心から離れず、自分にとって非常に圧迫感のある存在として感じられるということがありました。あるいは、過去の記憶や、ある一つの考え方が頭から離れず、心に迫るという感覚もありました。

なかには、周りとの関わりを、電話もメールも含めて一切絶ったらうつ病が治った、などという話も聞いたことがあります。ある意味、自分にはそれらは存在しないものとして、取り扱ったというやり方と言えます。しかし、周囲の存在とまったくかかわりを持たない、というのは社会生活を送るうえでなかなか大変です。

そこで、この”空“という方法になります。自分が世界を見る視点に、この方法を入れると、ぐっと心が楽になります。

ポイントは、以下のとおりです。

ポイント・すべて永続性のある実体をもたないものと見る。

管理人の補足要は「すべて移ろうもの」という視点です。あえて誤解を怖れずに言えば、“幻”であると言えます。
・「見る」というより「確認する」と言った方が適切かもしれません。すべて実体のない、移ろうものだということは、合理的に考えても分かることです。それが、体感的にも「見えてくる」というのが正しいかもしれません。
管理人の体感的には、すべてが“芯が抜けたような存在”に感じられることです。これによって自分に押し迫るような感覚が、だいぶ軽減されます。

この“空”という言葉の、体感的な一番の効果は、その“開放感”にあると感じられます。

今回は、仏教思想から”空“という言葉を持ってきていますが、すべてが永続性を持たない存在ということは、普通に考えても、至極もっともなことですしかし、日常生活を送っていると、そういう性質を忘れてしまう

例えば、心にインパクトのある人間関係、出来事があると、そこに自分の感情も絡まり、それが実体のある壁のような存在として感じられてしまう。一切のすべての存在が例外なく、実体のない”空“であるということは、その壁から”開放“してくれるように感じます。

極端な言い方かもしれませんが、本来の姿というのは、何の縛りもなく”開放“されているということです。仏教思想は、それを一言で”空“と言っています。

逆に、実体であるかのように見せてしまっているのは、心の執着の作用であるとも言っています。管理人の場合、うつ病、パニック障害のときには、偏執的にその傾向が強かったです。特定の物や事柄に、心が勝手にこだわってしまう。

そういう意味でも、この”空“という方法は、非常に有効なのではないかと感じます。

あるいは、周囲の存在だけではなく、自分自身の自己像(自己定義)も固定した実体のように感じてしまうことがあります。職場、学校、家庭での自分のあり方、自己定義が、往々にして自分の心を縛り付けて、苦しい思いに駆られてしまう。

旅行など場所を変えて一時的にそうした自己定義から解放するということもありますが、それだとその世界から出たことになりません。むしろ自分のいるこの世界を、そのまま“開放”してくれるのが、この“空”という言葉ではないでしょうか。変な言い方をすれば、“空化”してみる、ということです。

ところで管理人は当初、この“空”という言葉、訓読みすれば「空(むな)しい」と読むように、すべての存在が無いという、何か“虚無的”な感覚で捉えていました。しかしこの、べては意味がなく虚無であるというのは、“悪取空”と言うそうです。文字どおり、悪くとった“空”ということですね。

仏教思想では、心が執着によって実体と見せかける世界を、“空”と知って抜けた先に、“本質”である仏性があると言います。このサイトでは、内なる神、神性と言っていますが、同じことと感じます。

この”空“という方法、ぜひ試していただければと思います。

世界一の幸せ者

うつ病、パニック障害の人に対して、幸せですか?と聞いたら怒られるでしょうか。
普通の反応としては、怒りますよね。

管理人はうつ病、パニック障害のとき、なぜ自分ばかりこうした苦しい思いをするのだろう、どうして自分がこうした境遇にあるのだろう、という気持ちがありました。世界を見渡せば、自分より苦しい状態にある人は、多くいるはずなのですが、そういう状況にあるときには、自分の知っている身近な人と比較して、自分ばかりがという感情を抱きがちです。

今回は、中村天風氏が、その当時、死病といわれた結核から氏が回復するうえで、自己を作りあげる端緒としたといわれる以下のエピソードから、方法を紹介したいと思います。なお、紹介するエピソードの内容は、関連書籍で紹介している「天風瞑想録」をもとに一部要約したものです。

急進性の結核にかかって、日本では治す術がなく、その治す方法を知るためにアメリカ、欧州などをめぐってインドに辿りついた天風氏も、先ほどと同じようなことを思っていたそうです。

得るものがなく日本への帰路の旅の途中でヨガの達人の師に邂逅し、インドに渡った天風氏が、インドのヒマラヤ山麓ふもとにある村で、日々、山に登って瞑想をするという修行をしていたときのことです。熱が八度五分ほどあって、時折、喀血するほど衰弱した病状だったそうです。

そんな状態で、ある朝、その師事する先生に挨拶すると、「おお、世界一の幸せ者よ!」と返されたそうです。うつ病、パニック障害だった管理人も、その当時に他人からそんなことを言われたら、さすがに怒ったかもしれません。

さすがの天風氏もひどい冗談だと怒ったら、その師匠は「本当のことを言っているのだ」と言ったそうです。「頭が痛い、熱があると言っても、生きているじゃないか。まず第一に、生きていることをなぜ感謝しないのだ」と。それを聞いた天風氏は、素直にも「なるほどそうだ」と思い、先ほどの自分を「罰当たりなことだ」と反省したそうです。

そして、この「生きているだけで嬉しい、幸せだ」ということを、先ほどのようなネガティブな心をもつ、それまでの自分を造り変える第一歩とした、というエピソードです。

天風氏はその後、そうした心の積極性こそが神と結びつけ、そのエネルギー(天風氏の言う全知全能である“気”)を多く取り込むことができるという事実を体得し、治るのは困難とされた結核が、そうした方法によって完治してしまいます。

管理人も思いますが、「生きている」という事実は、そうした存在が、自分をまだ「生きるべき存在」としている、ということではないでしょうか。あるいは、「生かされている」と言ってもよいかもしれません。

生きているだけで、“世界一”の幸せ者だ、という感覚。“世界一の”というのは凄いですね。

世界一というのは、最高度と言い換えることもできます。確かに、生きていなければ、その他の幸せなことも感じることができません。そういう意味で、あらゆる幸せを感じることができる「生きている」という事実は、最高度に幸せなことだと言えるかもしれません。

あるいは、自分が見たり聞いたりしている「自分の世界」というのは、自分の存在なくしては成り立ちません。そういう自分の世界にあって、その世界を成り立たせている自分が「生きている」という事実は、世界を成り立たせる、根源的な一番の幸せと言えるかもしれません。

管理人も、このエピソードから、何か苦しい症状、境遇にあって、心に否定的な想念や感情がどうしても湧いてしまうようなとき、このトピックにある方法をします。

ポイント ・心を切り替えて、生きている事実が「世界一の幸せ」であると感じてみる。

管理人の補足心に浮かんでいる想念、感情から意識を離し、「生きている自分」は「世界一の幸せ者」 だと心で感じてみる。あるいは、そのように心で唱えてみる。
・管理人の場合、この方法をすると、消極的な心の状態であっても、その中に積極的な視点を持つことができました。体感的には、生きているだけで、世界一の幸せということを思うとき、心に何とも言えない気持ちの良い感覚を体感することができました。

物事には、積極的な方面、消極的な方面の両面があって、できるだけ積極的な方面から見るべきだ、という話しを聞きますが、この方法は、あらゆる人は当然、生きているわけですから、どういう状況にあっても、積極的な視点を確保することができます。

そういう意味で、この方法を効果という面から見るなら、心を積極的にする最強の方法だと言えると思います。しかし、日常生活の中では、この生きているという事実を、奇跡的なことだと見る視点というのは、どうしても失いがちです。

折に触れて、そのことを思い出すうえで、この方法は有効だと思います。
ぜひ試してみていただければと思います。

潜在意識の活用

人間には自覚している意識のほかに、潜在意識がありますが、中村天風氏が提唱している潜在意識を暗示作用によって活用する方法体験上、有効なのではないかと感じました。
(中村天風氏の詳細は、関連書籍の紹介をご覧ください。)

やり方としては、複雑なものではありません。
その方法は、以下のとおり。

ポイント・寝る前に、じっと鏡を見て「お前は信念強くなる」と言って布団に入る
・翌日、「私は信念強くなった」と言う

* 「あなた」などの言葉でもよいかと思いますが、天風氏の勢いある言葉をそのままに引用しています。

管理人の補足
潜在意識に入りやすいように、
①鏡を見たときに、眉間に意識をもっていく

②潜在意識を含め、自分のすべてが外に開かれているような感覚でする

何故「信念」なのか?
普段、潜在意識には、疑ったり、恐れたりといった雑念、妄念、消極的な観念がたまっているそれを除くには自分は尊く、強く、正しく、清く生きるのだという人生の自覚すなわち信念を潜在意識に呼び起こす

そうすると、心が積極的になって、神(あるいは仏)のエネルギーが生命に流れ込んでくる、というもの。

これが自分の心なのだろうか?
と思うほど、何が起きても揺らぐことがなくなるそうです。

私はうつ病のとき、常に体がだるく、寝ていてさえも体が重く感じるほどでした。朝も当然、布団からなかなか起きられない。昼間でも布団に横になっていることも多くありました。

この暗示作法を始めて体感したことは、次の日の朝の体の感覚です。朝の起き抜けに、体がだるい、重いということがなくなりました。何か、体が勝手に動いていると言ってもよいくらいです。
そのとき、なるほど暗示の効果というのはあるのだな、と感じました。

ただ、あまり即効的に効果がでることを期待しすぎず、毎日、坦々とするということが、継続のコツなのかなと思います。
寝る前に鏡を見て、一言いうだけなので、ほんの数十秒(もかからない?)ことですよね。

私はいまでも毎日、鏡を見てやっています。
お前は信念強くなる、と。

波動水の活用

*中ほどにポイントがあります

私がうつ病になって最初に体験したのは、気功でした。それと同時に活用したのが、この波動水です。これは自分で行うものではなく、専用の機械で作るものです。気功教室の人の紹介で、波動水の機械を活用した健康食品販売をしている方にあったのがきっかけでした。

私は当初、波動水?? ナニソレ? とかなり半信半疑だったのを覚えています。現在でも正直、その科学的な根拠の真偽のほどは、よくわかりません。ただ、その当時は、うつ病の症状が非常につらかったこともあり、藁にもすがる思いでやってみた、ということです。

ドイツ式とかアメリカ式とかいろいろな機械があるようですが、利用していたのはMMRI(波動磁気共鳴装置)という名前のものです。(中根 滋という波動研究の方の系統のものと聞いています。)

なお、「波動」と言っても、巷のすべてが同じものを指しているのかわかりませんので、管理人が体験したことのある、この機械で作製した場合を前提に話をすすめます。

そのとき説明を受けた内容は、以下のとおり。

ポイント・人間を含め、あらゆるものには波動がある。
・人間の体はほとんど水で構成されており、低くなっている項目の波動情報
 を機械の磁気でインプットした水を飲んで入れ替えていく。
・波動水を飲むと、のどで波動情報がキャッチされる。毎日、こまめに飲んで、
 波動情報がキャッチされるようにする。
・飲み始めると、好転反応として一時的に症状が強く出ることがある。
管理人の補足・管理人の場合、好転反応は、最初2週間ぐらいありました。
・症状が大幅に改善されてきたのは4か月ぐらい経過したときです。

人間の体の細胞や水は、およそ9か月ですべて入れ替わるそうです。波動水の情報の項目にはいろいろありますが、うつ病の場合だと、悲しみ、怒り、ストレス、幸福感、自尊心といった項目が測定で低くなるようです。この場合、これらの項目をインプットした波動水を飲む形になります。

私の場合、半信半疑で始めたのですが、個人的な体感としては、効果があったと思います。肉体的なものより、先ほどの項目のようなメンタルなものに、特に効果があるように感じました。

うつ病のとき飲んだ期間は1年半くらいだったと思います。なにより、化学的には水なので体に無害ですよね。

ちなみに、私はこのMMRIをもっていて、現在もたまに波動水を作って飲んでます。個人的な体感ですが、日常でのストレスなどで心に負担を感じるとき、飲んでないときと比べて、やはり何か負担が軽くなるような感じがします。

ちょっと試してみたい、という方がありましたら、左側にある「波動水のご依頼」からご連絡いただければと思います。管理人が上記の機械で市販ミネラルウォーターに波動をインプットし、お送り致します。

古神道のお守り

次に古神道のお守りです。
一般には誤解を受けそうな内容でもあるので、紹介するのはどうかなあ、という思いもありました。

もちろんここで紹介しているのは、管理人自身、これで体が非常にラクになった経験があるからです。以下、紹介させていただきます。

私がお世話になった古神道の神社で作製しています。以下のようなものです。

ポイント

・檜の板に貼った朱紙に、願意に関する神官による秘伝の霊符が書かれたもの

・さらに御神前で祈祷いただいて御神気が籠められている

管理人の場合、願意は「心身健全」でお願いをしています。毎年、節分(旧正月)に、神社の御神前で浄炎(仏教の護摩のようなもの)を焚いて清める大祭を行い、そのときに御守りも祈祷されています。

大祭後に御守りが郵送されるのですが、手にとったとき、神社特有のフワンとした温かな神気を感じます。なお、御守りは節分の大祭以外でも年中、作製のお願いをすることができるようです。

古神道の紹介は、関連書籍の記事をご覧いただければと思います。

体験談(1)のまとめ

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

この記事だけでも、「気功」と「神道の禊ぎ」といったように、系統が異なる方法を紹介しているので、まとまりがないと感じた方もいらっしゃるかもしれません。

管理人は数年にわたってこれらの方法を体験してきましたが、先にも述べたように、分野によって体感上の違いというものがあり、人によって好みが分かれると思うからです。また、その症状によって、できるだけ選択できるようにということもあります。

まずは、試しに行ってみて、自分の心や体で効果を確認しながら選んでいただくのがよいかと思っています。

今回、気功と神道という分野が異なる方法を取り上げていますので、両者で感じる”気”の違いについて、簡単に触れておきたいと思います。

管理人の場合、気功と神道で受ける“気”の印象はだいぶ違います。誤解を恐れずにあえて書けば、違いは以下のとおり。
(人によってはそんなことはない、とおっしゃる方もあるかもしれませんが、あくまで管理人個人が受けた体感を書いておきます。)

気功の“気”は、神道の気と比べれば、重厚で温かい感じを受けます。体には、血を送るために血管が全身に巡っているように、“気”の経絡(けいらく)が巡っています。その流れが詰まったりしてしまったとき、その詰まりをとって全身に“気”を流す、という感じを受けます。

卑近な言い方をすれば、水道管が詰まったときに、業者の方が高圧ジェットで流して詰まりを取りますが、そんなイメージです。気功は動作自体は、ゆったりとして穏やかですが、流れている“気”のエネルギーは、なかなか力強いという印象です。

神道から受ける“気”は、清々しく澄んでいるという感じを受けます。やはり人ならぬ“気”という感じですが、それは微細な感じです。禊ぎもそうですが、神道の作法は、自分の体の悪い“気”を出して、この“気”に入れ替わっていくという感じを受けます。濁った水を清流の水に入れ替えていく、そんなイメージです。音で例えれば、気功の“気”は、力強い低音ですが、神道の“気”は高い音という感じですね。

なお、管理人は同じ日に両方をしたことがありますが、両者の“気”が異なるからなのか、すこし体の“気”の流れがおかしな具合になる感じを受けました。より効果を適切に実感するには、期間をおいてなされたほうがよいかもしれません。ただし、これは気功を練功した場合のことで、記事で紹介している丹田呼吸のみであれば、問題ありません(神道にも同様の作法があります)。

なお、今回、特に管理人が神道の禊ぎを取り上げた理由は体験上、うつ病、パニック障害の場合、悪い想念などで心がネガティブな状態になっており、いわゆる汚れた“気”、“邪気”がたまりやすい状態にあるからで、まずはこれを拭い去ったほうがよいと感じるからです。

また、禊ぎは自宅のシャワーですぐにできる、ということもあります。最終的には、自ら体験してみて、自分の心や体が心地よい、と感じるものをしてみてください

そして、繰り返しになりますが、この記事で最初に紹介している“内なる神の認識”、“方法論”として述べている“内なる神性を心に据え置く”ということが、うつ病、パニック障害を根本から克服する一丁目一番地だと感じます。

内なる神について何らかのインスピレーションがあった方は、皆さんの内在する神、あるいは、内在する何かが感応したからだと思います。私の記事が、そのきっかけのお手伝いになったのなら、幸いだと思っています。

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