【意識の持ち方】うつ病、パニック障害で揺らがない心にするために

2021年7月4日

今回お話しするのは、本サイトの管理人がうつ病、パニック障害を克服した体験から、最も重要であると感じる内容です。

この方法を理解し、取り入れることができれば、個人的な感覚からすれば、克服に向けた土台ができたと言って過言ではないと思います。

なぜ最も重要なのかと言えば、この土台をつくるという点にあります。

ここで紹介する方法は、意識の持ち方、自己認識のあり方に関するものです。

このサイトでは、他に呼吸法など技術的な方法を紹介しています。それを繰り返すことによって症状を抑えてなくすことはできます。

しかし、意識の持ち方、自己認識のあり方によっては、うつ病、パニック障害の状態に戻ろうとする力が働いてしまう。
それは病気の症状を根本から消すことにならないのではないか。

変な言い方になりますが、この病気の現状維持しようとする心のあり方。
これを取り除くことが根本的に克服することにつながる。

管理人は自らの体験で、そのように感じています。

そしてこの方法は、病気の症状や、外界からの悪い影響を受けない心をつくるものです。

このように最も重要な内容ではありながら、人によっては抵抗を感じることが予想され、実は最もお話しするのが難しい内容でもあります。
それは一般的な意識の持ち方とは異なるものだからです。

しかし、管理人が病気を克服した体験をもとに、できるだけポイントを絞ってお話ししてみたいと思います。

なお、この方法ですが、自分ひとりで行う方法です。お金がかかるということもありません。

そして原理はシンプルです。

管理人がうつ病、パニック障害を完全に克服し、以後20年以上、再発せず症状もなく過ごせている。
それは、この方法が、まさに土台になっているからだと感じています。

→うつ病、パニック障害だったときの管理人の状態は 【閲覧注意】病気だったときの症状

それでは以下、よろしければ参考にしてみてください。

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心を揺らがなくするための意識の置き方

うつ病、パニック障害で心を揺らがなくする意識の置き方。

最初に結論を申し上げれば、以下のポイントに意識を置くという方法です。

一般的な感覚から違和感をおぼえたり、内容からして宗教的なものだという感覚を持たれる方もあるかもしれません。

しかし、ここでお話しするのは、あくまで「心の技術」です。

管理人が行った方法のありのままをお話ししていきたいと思います。

最後までお目通しいただければ幸いです。

まず、ポイントです。詳しい内容は、また後ほど。

ポイント自分の「本質」は、完全な存在、不変不壊の存在、清浄な存在であると認識する
そして、自分の「本質」に意識を置く

うつ病、パニック障害のときには、心や体にいろいろな「現象」が起きます。
しかし、それらの現象に意識を向けるのではなく、自分のこれらの「本質」に意識を置く。

そういう方法です。

心や体の現象は、あくまで「現象」です。自分の存在の「本質」には何ら影響はない。

そして、管理人がうつ病、パニック障害だったときに意識していたのは、結果として上記の3つです。
この3つの意識するポイントが、うつ病、パニック障害を完全に抜けさせてくれた。

振り返ってそのように感じています。

そこで、まずポイントの3つを詳しくお話しします。
その後で、これらに「意識を置く」とはどういうことなのか。お話ししたいと思います。

意識を置く3つのポイント

うつ病、パニック障害を抜けて克服することができたのは、以下の3つを意識していたから。
振り返ってそのように感じています。

【認識1:完全な存在】
自分の「本質」は、もともと完全な存在であるという認識。
そして、自分の内には何事もなし得る完全性がある。
また、何かが欠落した存在ではなく、何か変わる必要があるというものでもない。

【認識2:不変不壊】
自分の「本質」は、微塵も傷ついたり壊れたりすることはないという認識。
それは、心の想念がさまざまに変化、肉体がさまざまに変化しても、まったく影響はなく、変化しない。
精神的、物理的な影響の下にない存在であり、病気になる前から「本質」は変わっていない。

【認識3:清浄な存在】
自分の「本質」は、汚れたところはなく常に清浄であるという認識。
さまざまな想念、出来事、環境などの影響を感じても、それは表面的に自分を覆っているだけで、「本質」が清浄であることに変わりはない。

自分という存在の「本質」が、決して壊れたり傷ついたりしない存在であり、汚れのない清浄な存在という認識。

また、こうした「本質」は、病気になる以前から、病気になったときにも、あるいはその後も決して変わることはない。

この認識こそが、現在でもうつ病、パニック障害を決して寄せ付けない「心の土台」になっていると感じます。

うつ病、パニック障害のときには、自らを苦しめる心や体の不快感に、自然と意識が向かいがちになります。
頭からは不安、恐怖などの想念が離れない。

しかし、それらの心と体の「現象」は、要するにまとわりついて本来の自分をわからなくしているもので、自らの「本質」は決して変わることはない。また、変わる性質のものでもない。

そうした自分の「本質」に意識を向けるようにしていました。

たとえるなら、光輝く金の玉を泥の中に落としたならば、表面に泥がついてしまいます。
場合によっては泥に覆われてしまって、泥の玉のように見えることもある。

しかし、それは表面上そのように見えるだけのことであって、金の玉そのものが泥の玉になってしまうことはありません。
それを泥の玉だと認識するのは、誤りです。

日常の中で、さまざまな想念などの汚泥がついたとしても、自分の「本質」は変わることはない。
管理人の体験からは、そのような認識をきちんと持つことが大切だと感じます。

この方法を行うことで、不安、恐怖、悲しみなどの「現象」の影響を、根本的には受けなくなる。
それまで変転として「現象」に流されるままだった心が、自分の「本質」に碇を降ろすことで、以前ほど心が大きく流されなくなる。

この認識を繰りかえすことで、心の土台ができてくる。
それによって、やがて「現象」があらわれることが減っていき、気がついたときにはなくなっていました。

克服した後も心の土台は揺らぐことなく、これまで病的な状態になったことはありません。
それはこの方法によるものだと感じています。

意識の置くとは

自分の「本質」を認識して、そこに意識を置く。
それでは、「意識を置く」とは、具体的にどういうことでしょうか。

管理人が行った方法をお話ししておきます。

まず、「イメージする」ということでしょうか。

いろいろな方法論で目にする言葉ですが、管理人の感覚では異なります。心で思い描いたものというニュアンスで、認識としてはゆるいものだと感じます。言い換えれば、単に描かれたもので嘘があると無意識に感じてしまうおそれがあります。

「自分に言い聞かせる」ということでしょうか。

この方法を行う前には、管理人もよく行っていた心の動作ですが、これも管理人の感覚では異なります。自分に言い聞かせるということは、それとは異なる状態にあるから言い聞かせている。そのようにどこか無意識に感じてしまうおそれがあります。

わずかなニュアンスなのですが、しかし心に受ける効果というのはだいぶ違うように感じます。

自分の内にもともとあるものを確認した

この言い方が感覚として一番近いと感じます。

思い描くから先ほどの3つの状態なのではなく、言い聞かせるから3つの状態なのでもありません。
これらの場合、自分はもともとそうではない、というニュアンスがあります。

もともとあるものを確認した。
それは心に思い描かなくとも、言い聞かせなくとも、もともと「本質」として3つの状態にある。そのことを確認する。

より固い認識と言えるのではないかと感じます。

心に、嘘があると感じさせる隙を与えない。これは心の技術として重要なことだと感じています。

以上を踏まえて、この後に管理人が病気のときによく行っていた具体的な方法を紹介したいと思います。
方法は3つです。いずれも管理人が病気を克服する過程で、よく行っていた方法です。

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「清浄な本質」を体感を通じて意識する

自分という存在の「本質」は、清浄な存在である。
このことをきちんと認識する。

病気のときには、不安、恐怖などの暗い想念が湧きあがります。
そして、自分はそういう想念を生むような、重く汚れた存在だ、と錯覚しがちです。

自分が「本質」として汚れた存在ではない、という自覚。
不安、恐怖という「現象」には、これが自分の「本質」なのだという自覚で対処していました。

管理人は、これに加えて、体感を想起するという方法を行っていました。
心の認識だけでなく、そこに体感を組み合わせる方法です。

管理人が病気だったとき、心に不安、恐怖などの想念が現れるときには、体にだるさ、重さなどを感じることがありました。
胸のあたりに暗くモヤモヤしたものが体に纏いついている感覚があったりしました。

管理人がうつ病、パニック障害だったときに、神道の修練をしていたことがあります。
特にその方法というわけでなく、管理人が克服する過程でその頃に自然と身につけた方法なのですが、以下のようなものです。

個人的な体験になりますが、

また、これらの想念と体感を、自分の体から出す方法として体を使った方法を別の記事で紹介しています。ご確認される方は、ご覧になってください。
→ 方法を紹介している記事は 丹田に気をいれる|体の悪い気を出す

【以下、旧verのまま】

呼吸とともに意識を置く方法

自己の「本質」に意識を置く方法として、呼吸にあわせる方法があります。

インドに古来からヨガなどにある方法で、ソーハムというものがあります。
管理人はインドの聖者サイババによって知りました。

どういうものか。

人は絶えず、息を吸って吐くという呼吸をしています。
そして、吸うときにはソー、吐くときにはハムという音がしている。

インドの古い言葉では、ソーは神、ハムは私という意味がある。
人は呼吸を一息するごとに、神、私、神、私と言っていて両者は一体だというものです。

これを心の技術として言えば、「自己の本質」(完全な自分、不変不壊の自分、清浄な自分)こそが私だと言い換えてよいと思います。

ポイント息を吸うのに合わせて「ソー(自己の本質)」、吐くのに合わせて「ハム(私)」と心で唱える。この心の声に意識を置くようにする。

この方法は、いつでもどこでもできる方法です。
自らの信仰のある方なら、ソーでその神仏を意識してもよいかと思います。

いつもしている呼吸の体感とともに、もともとの「自己の本質」を思い起こさせてくれます。
そして、そこに自然と意識を置くことができる方法です。

繰り返す自分の言葉とともに意識を置く方法

「自己の本質」に意識を置く方法をもう1つ紹介します。

インドに古来からある方法で、神の名を心の中で繰り返し唱えて、そこに意識を集中するというものがあります。
日本でも仏教では称名念仏というものがありますが、同じような感じです。

心の技術として言えば、清浄なり、不変不壊なりという言葉でもよいかと思います。
そしてそれが自分の内に本質として、自己の核としてあると意識します。

なお、管理人は、個人的に伊勢神宮に参宮するのが好きなので、
“天照大御神(あまてらすおおみかみ)”と心で繰り返していました。

言葉を繰り返しながら、自己の内なる「完全な存在」に意識を置くことで、
その存在とともにある、一体であるという安心感と心が鎮まる感覚がありました。

「自己の本質」に自然と意識を置くことができ、心を落ち着かせてくれる方法です。

さらに意識を置く2つのポイント

「自己の本質」として3つのポイントをお話ししてきました。
自己の心の想念や、外界からの影響を受けなくする心にするうえで、特に重要なポイントであると感じています。

これに加えて、心の状態を大きく改善して、症状にも効果があった2つのポイントをお話ししておきたいと思います。
よろしければ、お目通しください。

 

【認識4:善の存在】

自分の存在の「本質」は、善の存在と認識する。

 

 

【認識5:愛の存在】

自分の存在の「本質」は、愛の存在と認識する。

これもまた、うつ病、パニック障害という病気の克服に、「愛」が何か関係があるのか?
そのように思われる方もいらっしゃるかと思います。

管理人がうつ病、パニック障害だったとき、不安や恐怖心が占めるとともに、その見ている世界はどこか暗く、殺伐としたものでした。
疑心暗鬼になっていて、なかなか他人の言うことを信じられない。

そうした中で、あるとき、この「愛」という言葉を聞いたときに、久しぶりに古い友人に会ったかのような感覚がありました。
病気のときは、この「愛」という言葉すらまったく心に浮かばない状態であり、自分がその感受性を失っていることに気がつきました

他人からの受ける「愛」や「善意」に対しても、自分が本来もっている「愛」の感情に対してもそうです。

この「愛」を意識することは、体感としてうつ病、パニック障害の症状の緩和に効果があると感じました。
また、克服するうえでもこの意識は役に立ちました。

 

ポイント・“愛”の眼鏡をかけて世界を見る

管理人の補足
自分が見たり感じたりしている世界を、そのまま“愛”の現れとして見るということです。常に、この世界の存在そのものが、“愛”の現れであると見るということです。例えば、1人でいるときも、街を歩いているときも、世界をそのように見るということです。常に“愛という眼鏡をかけている”という感覚です。
・管理人の場合、世界をこのように“愛”を見るようにすると、実際に、自分のまわりに、あたたかく、やわらかな“気”のようなものが、常に自分を包んでいるような体感がありました。また、そのような“愛に包まれている”という感覚は、自らの心を非常に安心させる効果が感じられました。

言うまでもないことですが、ここでの“愛”は、必ずしも物質的、肉体的な情愛に限らず、広い意味のものです。

管理人の場合、このように“愛”として世界を見たとき、体の緊張がゆるむとともに、暖かな気に包まれている感覚が自然と体感されました。そして、胸のあたりで、体の気の流れを阻害していた詰まりがとれて、手足の冷えや、体全体の気の流れが良くなったように感じました。表現が難しいのですが、固く冷たくなっていた心に、気が通りはじめた、という感覚です。そういう意味では、心にダイレクトに効果がある方法なのかなとも感じます。

体の緊張がゆるむ、ということの関連で言えば、人の中にいると呼吸が浅くなる、過換気症候の改善もありました

この方法は、サイババの書籍にあったトピックの文言「愛という眼鏡をかけて世界を見る」というフレーズがきっかけとなりました。その言葉どおり世界を見たところ、体感的な変化をすぐに感じることができたためです。変な言い方になりますが、この“愛”という言葉の威力は凄いものだと体感しました

この“愛”という言葉は、キリスト教でも最も重要なキーワードであり、仏教でも同様の内容を指す“慈悲”、儒教では“仁”といった言葉が、やはり重要なキーワードになっています。世界の様々な文化によって表現は異なりますが、いずれでも重要なものと扱われていることは、注目に値することだと思います。

→体感した具体的な内容は 【CHECK】愛の意識と気の流れの変化について

この方法を通じて管理人が思うこと

なぜこの方法で克服することができたのか。
管理人が克服した現在になって思うことを、簡単に紹介しておきたいと思います。

意識が向かう方向の変化

この方法を行うまでは、心に不安、恐怖などの想念があれば、それを必死に否定するという心の作業をしていました。
しかしそうすることで、逆に意識がそれらに向いてしまう。そして、その存在が余計に際立ってしまう。

そうしたジレンマがあったと思います。

心の不安、恐怖といった「現象」ではなく、自分の「本質」に意識を向ける。
これらの「現象」は、自分に根本的な影響をあたえないと認識する。

意識が向かわなくなることで、これらの「現象」に心がとらわれなくなり、消えていったということはあると思います。

自己認識の方法の変化

他人の視線が気になる。他人と一緒にいるだけで緊張する。
管理人には、そうした傾向がありました。

特に病気のときには、この傾向が強く出ていたと感じます。
なぜそんなに他人の視線を気にするのか、という指摘を受けたこともありました。

この傾向ですが、うつ病、パニック障害を克服するとともに、やがてなくなりました。

それはこの方法を行うことで、自分が何者なのか。

自分のアイデンティティー、自己認識のあり方が変わったということがあると思います。

それまでの自己認識は、相対的なあり方によるものでした。つまり、他人からどう見られているかということが、自分という存在を決めるのに大きな影響を与えている。

これは自己認識の基準が外にある。つまり、自己認識が常に変化にさらされた状態、不安定な状態にあります。

自分の「本質」とは、もともと完全な存在であって、変わる性質のものではない。
これによって自己認識のあり方が大きく変わり、心が揺らがなくなったと感じています。

人間観の変化

人間という存在は、悩んだり、もがいたり、もろく弱い存在だ。
人間の心は、喜び、悲しみなど相反する情念の集合体で、ドロドロした自分でもよくわからないものだ。

病気のときの管理人は、このように言われても違和感を感じなかったと思います。特にうつ病、パニック障害のときというのは、これを地で行く状態にあります。
世間一般でもこのような人間観をモチーフにした文芸、映像、芸術作品などはよく目にするところです。

しかし振り返ってこうした人間観というのは、この状態が前提であることを、無意識に肯定してしまっている。
そして、この状態から外に出ることを阻害しているのではないか。

自らの体験から、そのように感じています。

自分の「本質」は傷ついたり壊れたりしない、不安、恐怖などの「現象」に影響を受けることのない存在である。
この認識を持つことで人間観の土台が大きく変わり、この状態から出ることができたと感じています。

否定的な暗示を受けなくなる

「うつ病」と診断を受け、自分がどういう状態かわからず不安だったのが、この言葉を聞いてどこか安心する。

しかしその後、少しでも不安、恐怖などがあると「自分はうつ病」だと再確認してしまう。
いろいろなことをうつ病と結びつけて捉えてしまい、うつ病を前提とした心の状態「うつ病の自分」から抜けられない。

そしてそれによって、心の不安、恐怖の状態が維持されてしまう。そうした悪いサイクルにはまってしまっている。

病気だったときに、自分にはこうした現象が起こっているのではないかと感じたことがあります。

「うつ病」は医学的な術語ですが、受け止めがネガティブな意味合いのものになっています。
暗示という捉え方をすれば、ネガティブな暗示と言えます。

例えば、医者、カウンセラーに自分の状態を話すときも同じことが言えます。
この場合、話す内容というのは「自分が不安、恐怖にある状態」です。自分はそういう状態にあると自分で再確認することになります。

診断の時と同じように一時的に安心したり、感情の放出があって感情面で落ち着くこともあります。

しかし、何か根本的にすっきりしないという感覚もありました。病気だからということもあるのですが、健常なときとは異なって安定しているような感覚です。

時には、自分で話した後に、逆に心が重くなるということもありました。
これは、先ほどと同様、ネガティブな暗示が入ってしまっている。

このことに気がついたとき、話す内容は自己認識とは別ものと意識することで、影響を受けなくなったということがあります。

この後、自分の「本質」が完全な存在であり、これらの「現象」に影響を受けない存在である。
「うつ病」というのも「現象」に過ぎず、自分の「本質」に影響を与えるものではない。

この認識を行うようになって、ネガティブな暗示を受けることがなくなったと感じています。

ここでお話ししたことは方法の紹介ではなく、克服した後に、結果的にどうしてこの方法が有効だったのか、ポイントを思われるところをまとめたものです。参考にしていただければと思います。

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心のとらわれをなくす認識の方法

これまでは内なる「自己の本質」に意識を置く、自己認識によって克服する方法のお話しをしてきました。
続いて、もう1つ、別の角度からお話しをしたいと思います。

それは自分を取り巻く外界の認識方法を変えるという方法です。
簡単にですが、その方法をお話ししたいと思います。

仏教思想には「空」という言葉があります。
例えば、「色即是空」という句、耳にしたことがあるのではないでしょうか。

ここでは漢字の多い、難しいお話しはしません。仏教思想をお話しするのでもありません。
この言葉を、管理人がうつ病、パニック障害を克服する方法として、どのように使ったのかというお話しをします。

管理人が病気だったときには、
・周囲の存在に圧迫を感じる
・過去の出来事、記憶が頭から離れない
・特定のものに心がこだわりをもってしまう
ということがありました。

周囲の存在の圧迫感については、周りとの関わりを、電話やメールも含めて一切絶ったらうつ病が治った、などという話しを聞いたことがあります。それらは存在しないものとして取り扱う方法と言えます。

このとき、外界の存在から心が開放されている。
そのように言えると思います。

しかし、この事例のように周囲とまったく関わりを持たない、というのは社会生活をするうえでなかなか大変です。
そこで、この「空」という方法になります。

自分が世界を見る視点にこの方法を入れると、ぐっと心が楽になります。

ポイントは、以下のとおりです。

ポイント・すべては永続性のある客観的な実体をもたないものと認識する

管理人の補足要は「すべて移ろうもの」という視点です。あえて誤解を怖れずに言えば、“幻”であると言えます。
・「見る」というより「確認する」と言った方が適切かもしれません。すべて実体のない、移ろうものだということは、合理的に考えても分かることです。それが、体感的にも「見えてくる」というのが正しいかもしれません。
管理人の体感的には、すべてが“芯が抜けたような存在”に感じられることです。これによって自分に押し迫るような感覚が、だいぶ軽減されます。

この“空”という言葉の、体感的な一番の効果は、その“開放感”にあると感じられます。

永続する、というと難しく聞こえるかもしれません。
ずっと変わらずに存在する、と言い換えてよいと思います。

今回は、仏教思想から”空“という言葉を持ってきていますが、すべてが永続性を持たない存在ということは、普通に考えても、至極もっともなことです
しかし、単に日常生活を送っていると、そういう性質に気づかなかったり、忘れたりしてしまう

例えば、心にインパクトのある人間関係、出来事があると、そこに自分の感情も絡まり、それが実体のある壁のような存在として感じられてしまう。一切のすべての存在が例外なく、実体のない”空“であるということは、その壁から”開放“してくれるように感じます。

極端な言い方かもしれませんが、本来の姿というのは、何の縛りもなく”開放“されているということです。仏教思想は、それを一言で”空“と言っています。

逆に、実体であるかのように見せてしまっているのは、心の執着の作用であるとも言っています。管理人の場合、うつ病、パニック障害のときには、偏執的にその傾向が強かったです。特定の物や事柄に、心が勝手にこだわってしまう。

そういう意味でも、この”空“という方法は、非常に有効なのではないかと感じます。

あるいは、周囲の存在だけではなく、自分自身の自己像(自己定義)も固定した実体のように感じてしまうことがあります。職場、学校、家庭での自分のあり方、自己定義が、往々にして自分の心を縛り付けて、苦しい思いに駆られてしまう。

旅行など場所を変えて一時的にそうした自己定義から解放するということもありますが、それだとその世界から出たことになりません。むしろ自分のいるこの世界を、そのまま“開放”してくれるのが、この“空”という言葉ではないでしょうか。変な言い方をすれば、“空化”してみる、ということです。

ところで管理人は当初、この“空”という言葉、訓読みすれば「空(むな)しい」と読むように、すべての存在が無いという、何か“虚無的”な感覚で捉えていました。しかしこの、べては意味がなく虚無であるというのは、悪取空と言うそうです。文字どおり、悪くとった「空」ということです。

仏教思想では、心が執着によって実体と見せかける世界を、“空”と知って抜けた先に、“本質”である仏性があると言います。

前に、「自己の本質」の譬えとして金の玉に泥が付いたお話しをしました。
このサイトでは、内なる神、神性と言っていますが、同じことと感じます。

この”空“という方法、ぜひ試していただければと思います。

潜在意識の活用

人間には自覚している意識のほかに、潜在意識がありますが、中村天風氏が提唱している潜在意識を暗示作用によって活用する方法体験上、有効なのではないかと感じました。
(中村天風氏の詳細は、関連書籍の紹介をご覧ください。)

やり方としては、複雑なものではありません。
その方法は、以下のとおり。

ポイント・寝る前に、じっと鏡を見て「お前は信念強くなる」と言って布団に入る
・翌日、「私は信念強くなった」と言う

* 「あなた」などの言葉でもよいかと思いますが、天風氏の勢いある言葉をそのままに引用しています。

管理人の補足
潜在意識に入りやすいように、
①鏡を見たときに、眉間に意識をもっていく

②潜在意識を含め、自分のすべてが外に開かれているような感覚でする

何故「信念」なのか?
普段、潜在意識には、疑ったり、恐れたりといった雑念、妄念、消極的な観念がたまっているそれを除くには自分は尊く、強く、正しく、清く生きるのだという人生の自覚すなわち信念を潜在意識に呼び起こす

そうすると、心が積極的になって、神(あるいは仏)のエネルギーが生命に流れ込んでくる、というもの。

これが自分の心なのだろうか?
と思うほど、何が起きても揺らぐことがなくなるそうです。

私はうつ病のとき、常に体がだるく、寝ていてさえも体が重く感じるほどでした。朝も当然、布団からなかなか起きられない。昼間でも布団に横になっていることも多くありました。

この暗示作法を始めて体感したことは、次の日の朝の体の感覚です。朝の起き抜けに、体がだるい、重いということがなくなりました。何か、体が勝手に動いていると言ってもよいくらいです。
そのとき、なるほど暗示の効果というのはあるのだな、と感じました。

ただ、あまり即効的に効果がでることを期待しすぎず、毎日、坦々とするということが、継続のコツなのかなと思います。
寝る前に鏡を見て、一言いうだけなので、ほんの数十秒(もかからない?)ことですよね。

私はいまでも毎日、鏡を見てやっています。
お前は信念強くなる、と。

 

そして、繰り返しになりますが、この記事で最初に紹介している“内なる神の認識”、“方法論”として述べている“内なる神性を心に据え置く”ということが、うつ病、パニック障害を根本から克服する一丁目一番地だと感じます。

私の記事が、そのきっかけのお手伝いになったのなら、幸いだと思っています。

 

 

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