うつ病、パニック障害を克服するまでの途 Ⅱ ー通院、カウンセリングと投薬治療ー
前回の記事では、診断を受けるまでの経緯についてお話しをしました。
→ 前回の記事 うつ病、パニック障害を克服するまでの途 Ⅰ ー診断を受けるまでの経緯ー
それはまさに、病院に駆け込んだという状態でした。
このままでは自分の心と体がコントロールできず、自分がどうにかなってしまうのではないか。
そうした恐怖心から、自分の心や体がどういう状態に陥っているのか、一刻も早く知りたいという切羽詰まった状態でした。
今回の記事では、駆け込んだ病院でどのような診断を受けたのか。
そこからお話しを始めたいと思います。
その後の通院と投薬治療のほか、心理カウンセラーにもかかったのでその経緯のお話しをしてみたいと思います。
また、偶然の経緯により減薬することになったのですが、そのあたりもお話しできればと思います。
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通院、カウンセリングと投薬治療の経緯
診断
駆け込んだ自宅の最寄りの病院は、個人開業の病院でした。
待合には大勢の患者さんが順番を待っていました。
名前を呼ばれて、まず看護婦と思われる補助スタッフに自分の状態をお話しする問診がありました。
その後しばらくして医師からの診療がありました。
医師は先ほどの問診の内容が記されたものに目を通しました。
そしてすぐにうつ病、不安神経症、パニック障害という診断がありました。
また、薬を処方する旨と副作用のお話しがありました。
医師との面談はごく短時間でした。
薬は食後に三回、三錠ずつ服用する。
一回に服用する薬がひとつの袋に収まった状態で、毎回袋をあけてその中の三錠を飲むというスタイルのものでした。
両親には病院に行ったことを事後報告しました。
苦しさのあまり病院に行ったことを報告し、母親が悲しんでいたことを記憶しています。
通院と投薬治療
通院を続けていたのですが、その度に薬の量は増えていきました。
もちろん管理人が症状を訴えたからでもあります。
やがて薬は一度に九錠を飲むまで増えていました。
一度に飲む袋の中の薬は増えていき、様々な種類の薬が入っているのがわかりました。
たしかに薬を服用すると不安、恐怖、悲しみを感じることがなくなりました。
そして、夜も頭が冴えて眠れないことがあったものが、すぐに熟睡するようになりました。
一方で副作用として、喉が渇く、頭がボーッとする、舌の動きが鈍くなって呂律(ろれつ)がまわりにくくなる、日中も眠くなる、尿をとめにくくなるなどがありました。
また夜寝ているとき、自覚がないのですが、すごい鼾(いびき)をかくようになりました。
普通の鼾ではないほど大きな音だったようで、それを母親から心配されたこともありました。
じつは後に大学に通えるようになったとき、保健室で休ませてもらったことがありました。
そこで例の薬九錠を飲んで寝ていたところ、保健室の職員からも同じように鼾が普通ではないと心配されたことがありました。
リハビリ
リハビリは、すこしずつ行っていきました。
まず自宅からの外出ができない。
自宅から一歩外に出てみる。
そして、自宅に近いところから徐々に目標地点を伸ばして達成する。
最初の頃は家族に付き添ってもらいながら、これを繰り返していきました。
やがて駅に到達できるようになって電車に乗る。
これも最初は一駅から徐々に乗車距離を伸ばしていくというリハビリを行いました。
ある程度乗車できるようになってからも、快速電車は長時間降りることができない不安感から乗ることができず、各駅停車を利用する状態がしばらく続きました。
大学に到達できるようになっても、最初の頃は授業には出ずにそのまますぐに帰る。
そして授業を受ける時限数を徐々に増やしていく、ということをしていました。
先ほどの快速電車と同様、授業は長時間拘束されることに不安があったためでした。
途中で出入りが可能な講義形式の授業から、徐々に馴らしていきました。
診断を受けてから大学の授業を受けられるようになるまで、一年ほどかかったと思います。
なお、自宅での療養も相当期間あったため、リハビリの期間は三か月ぐらい。
はっきりとは覚えていないのですが、それぐらいの期間だったと思います。
こうした状態が続いたため、大学二年のときには単位をほとんど取ることができませんでした。
ただし在籍していた大学には留年がなく、卒業するときに単位が揃っていればよいというものでした。
なお余談ですが、出席を要件としない授業のみ、わずかですが単位を取ることができました。
この大学に行けないときにレポートの課題を教えてくれたり、ノートを貸してくれたりした友人には、今でも感謝しています。
この診断から大学に復帰するリハビリの期間は、なかなか大変だったと記憶しています。
翌年の大学三年のときからは、授業やゼミにも出席できるようになりました。
減薬のきっかけ
減薬するようになったきっかけ、それは偶然によるものだったと言えます。
当初、自分から意図したものではありませんでした。
大学に通えるようになった頃、大学に診療所が設置されていることを知りました。
そこでは、学生証を提示すれば、診療費が無料(だったと思います)ということでした。
通院していた病院は自宅から最寄りでしたが、それでもやや距離がありました。
そこで、通学のついでに通院できて、経済的な負担もない大学の診療所に通うことにしました。
先ほど大学の保健室で鼾を職員に心配された出来事をお話ししました。
このとき、薬を飲むときに持っていた薬袋を見せたのですが、錠数の多さに驚かれたことがありました。
通院していたところとは、別の医師の意見も聞いてみたい。
そのような思いもあったと思います。
その診療所には、提携する大学病院から医師が派遣されてきてました。
曜日によって専門の異なる医師が派遣されていました。
そのほか看護婦が一人、常駐していました。
今でもよく覚えていますが、診療所に初めてかかったときのことです。
医師に、それまでの経緯を話し、持っていた薬を見せました。
白髪まじりの年配でベテランといった雰囲気の方でした。
医師は、管理人が持っていた薬袋を手にとって一瞥しました。
そして処方したのは、驚くことに薬一錠でした。
それを一日に二度飲むだけ。これで大丈夫、と言われました。
自宅に戻ってこのことを親に話しました。
鼾のこともあり、やはり薬が体に負担になっているのではないか。その医師を信じてみたら。
そうした話をして、それ以後、例の九錠の薬を止めることにしました。
しかしそれは、勇気が要るものでした。
というのも、薬の効果が切れてくる(ように感じる)と、その途端、症状がぶり返してくる。
そのことを身をもって知っていました。
不安、恐怖などの想念が戻ってきて、体も極端に重くなる。
そして、薬で保たれた状態からの反動からなのか、極端に状態が悪くなったように感じることもあったためです。
先ほどの大学の保健室の出来事もそうですが、たとえ気分が悪い状態であっても、薬を飲むことで急速に回復できる。
症状を抑えるには薬だけが頼りであり、それをやめることは勇気が必要でした。
その後、しばらく大学の診療所に通院し、薬一錠で過ごすようにしていました。
しかし症状の辛さから、以前の病院とは異なる、自宅からやや離れた別の病院に移りました。
そこでは、おおむね二、三錠の薬が処方されていました。その状態が一年ほど続いたように思います。
薬を完全にやめることができたのは、もう少し後のことです。
これはまた別の機会にお話しします。
そして、こうした通常の治療以外の途として、最初の気功に出会ったのもこのころでした。
それも偶然によるものでしたが、その内容は次回、お話しすることにします。
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心理カウンセリング
大学に復帰した頃に、心理カウンセリングを利用したことがありました。
たまたま親の知人に、心理カウンセラーをしているという人がいました。
そして、その方から紹介されたところに行ってみることにしました。
通院では投薬が中心で、医師による問診が短時間だったということもあります。
症状以外の、自分の心の状態を話す時間がありませんでした。
紹介されたカウンセラーは、中年の男性で、某国立大学で非常勤講師もしているという方でした。
カウンセリングでは、管理人の近況、思っていることを止めどなくお話しする。
そして、それに対応していただく形でした。
だいたい一回につき三十分程度だったと思います。
対応といっても、基本的に「ウン、ウン」と頷いて、時折メモを取るといったようなものでした。
特にどのようにした方がよいとか、方法の提案などもありません。
カウンセラーのところへ行って、基本的に管理人がお話しして、カウンセラーは頷く。
この繰り返しでした。
(それが心理学で良いとされる、相手を否定せずに受け入れる方法だからだとは思うのですが。)
自分の思いを吐露して、それを理解してもらう。
相槌を打ってくれるだけなのですが、自分の思いを理解して共感してくれることに、感情的なカタルシスを感じることがありました。
しかししばらくして、それがどういうわけか心地よくないと感じるようになりました。
おそらく自分が話している内容が、自分にとって心地よくない。
話す内容は、当然、明るい内容ではありません。
自分が辛く、苦しい状態にあることをお話しすることになります。
そうした状況に対して、自分で分析してみせたりすることもありました。
しかし逆に、この話すという行為によって、自分が話す内容に嵌まり込んでいるのではないか。
そのように感じたことがありました。
自分で話している内容に、自分で興奮をおぼえたり、悲しんだりすることもあります。
やがて半年ほどして、カウンセリングを受けることはなくなりました。
(後に中村天風氏の著作を読んだとき、これも一種の暗示習性によるものではないかと思ったことがありました。これについては別の機会にお話しします。)
自分を分析するということは、病気のときによくしていました。
何か自分の状態を分析せずにはおられない。
何が原因で、何がきっかけで、何の出来事がきっかけで、自分はこうなったのか。
その原因や出来事を突き止めれば、対処して乗り越えることができるのではないか。
そのように感じていました。
カウンセリングに対しても、専門家の立場から、自らのこうした問いに対する有益な答えが得られるのではないか。
それによって原因が特定されて、乗り越える何ならかの示唆を得られるのではないか。
そうした期待もありました。
自分がどのような人間なのか、冷静に、論理的に分析することができた。
そうした感覚に囚われることもありました。
しかし先ほどと同じように、自分の分析やストーリーテリングに嵌まり込んでいるのではないか。
さらに、冷静に、論理的に分析できたという感覚によって、逆に疑いなく、分析によってできた自己像に嵌まり込んでしまっていないか。
その自己像が肯定的なものならばよかったのかもしれません。
しかし病気の状態にある自分に対して分析を通じて得られたものは、どこか自分を欠損した存在として捉えているものでした。
しかしそれは、本当に自分の事実なのだろうか?
その自己像に嵌まり込む危険性はないのだろうか?
カウンセリングに通わなくなった後ですが、そのように思い当たったことがありました。
後日談ですが、克服してから二十年が経った現在でも、何が原因だったのか、そもそも原因自体があったのかも、わかりません。
わからないまま、病気は癒りました。
その過程では、いくらでも湧いてくるこうした自分の分析からの離脱、ということがありました。
それは哲学、思想などの本を読んだ結果なのですが、詳しくは別の機会にお話ししたいと思います。
以下やや余談になりますが、カウンセリングでは心の問題のほか、興味のあることなどの雑談も行いました。
その頃興味をもっていた哲学、思想について、本の紹介を受けたこともありました。
紹介された本で現在でも覚えているのは、特定の世代の方は、おわかりになるかもしれません。
吉本隆明氏の「共同幻想論」、そして実存哲学のサルトル「嘔吐」です。(吐き気に苦しんでいたので、このセレクトはどうかと思いましたが。)
どちらも全共闘世代(管理人の親世代)に流行したものです。
個人の感想としては、前者は面白かった。後者はつまらなく、病気にとっても良くなかった。
前者のキャッチフレーズ「国家とは幻想である」という言葉。
この「幻想性」というのは、後にインスピレーションになったかもしれません。
これら以外にも、病気の間、いろいろな本を読み、影響を受けました。
病気に対処するという点では、正直、役に立たなかったものが多かったです。
しかしなかには、病気を抜けるうえで、認識の変化のきっかけになったものもありました。
このあたりについては、別の機会にまとめてお話ししたいと思います。
振り返ってみれば、これらの雑談も、カウンセリングの一環だったのかもしれません。
カウンセリングでは、心理学の本の紹介もありました。
雑談で、管理人が心理学に興味を示したためです。
記憶しているところでは、河合隼雄氏のユング心理学に関する著作、フランスのメルロ=ポンティの著作などです。これらの本は、実際に読みました。
病気に対処するのに役立ったかについては、「ウーン」と言ったところでした。
大学で心理学の講義を聞いたこともありますが、こちらも同様でした。
森田療法と呼ばれる、温暖の感覚などを使った方法の本も、読んで試したこともありました。
しかし症状が緩和されるなどの効果は感じられませんでした。
もちろん読んで知った限りでの印象です。
しかし残念ながら、病気から抜けるための方法、認識の変化といったものは得られませんでした。
病気から抜けるための何らかのヒントが得られるかもしれない。
当初はそうした期待がありました。
しかし以降、とくに心理学の本を読むことはありませんでした。
心の状態を分類し説明しているだけで、病気に対処して抜けるための方法を提供していない。
そのように感じたためでした。
今回の記事では、お話しはこのあたりにしたいと思います。
いかがでしたか?
病院で診断を受けて、通院しながら大学に復帰するためのリハビリをした大学二年の頃。
大学に復帰し、大学生活を送りながら診療所に通院、心理カウンセリングを受けた大学三年の中頃まで。
このあたりの経緯についてお話しさせていただきました。
通院投薬については、同じような体験をされた方もいらっしゃると思います。
なお、心理カウンセリングについては、認識の変化とともにやめた経緯をお話ししました。
しかし中には、心理カウンセリングでうまく行っている方もおられるかもしれません。
病気の背景はそれぞれであり、感じ方もそれぞれだと思います。
その場合は、参考にとどめおいていただければ幸いです。
次回は、転機となった気功との出会いと、その中で得られた体験をお話ししてみたいと思います。
これまでの通常の治療からどのように変化していったのか。
気と心と体のお話しです。
まだまだお話しは長く続きます。
今回の記事は以上になります。ご覧いただきありがとうございました!