うつ病、パニック障害を克服するまでの途 Ⅱ ー通院、カウンセリングと投薬治療ー

2023年9月28日

前回の記事では、診断を受けるまでの経緯についてお話しをしました。
それはまさに、病院に駆け込んだという状態でした。

このままでは自分の心と体がコントロールできず、自分がどうにかなってしまうのではないか。
そうした恐怖心から、自分の心や体がどういう状態に陥っているのか、一刻も早く知りたいという切羽詰まった状態でした。

今回の記事では、駆け込んだ病院でどのような診断を受けたのか。
そこからお話しを始めたいと思います。

その後の通院と投薬治療がどのようなものであったのか、そして心理カウンセリングも体験したのでその経緯のお話しをしてみたいと思います。

また、偶然の経緯により減薬することになったのですが、その辺りのお話しもする予定です。
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通院、投薬治療の経緯と心理カウンセリング

診断

自宅近くの開業医の精神病院を訪れ、診察を申込みました。待合では結構な人数の患者がいました。

自分の名前が呼ばれると、まず看護婦に自分の状態をお話しし、看護婦がそれを書き留める問診がありました。しばらく待合で待った後、医師からの診察がありました。

医師は先ほどの看護婦との問診の内容に目を通し、
うつ病、不安神経症、パニック障害との診断がありました。(なお後日、別の病院では加えて自律神経失調との診断もありました。)

そして薬を処方するので服用する旨と、その副作用の説明を受けました。これら医師との面談は数分程度の短時間だったと記憶しています。

副作用として挙げられたのは、呂律(ろれつ)がまわりにくくなる、喉が渇く、日中でも眠くなる、やや尿を止めにくくなるなどでした。

診断の後には薬局で薬を受け取り、一日三回、食後に服用するよう言われました。薬は各回に服用する分をまとめて透明な袋に入れたものが、紐状に繋がったものとなっており、薬局の紙袋に入れて渡されました。

一回に飲む分をまとめた透明な袋の中には、白い三角形の錠剤が三錠入っていました。

その夜、苦しさのあまり病院に行ったことを母親に事後報告したのですが、悲しんでいたことを記憶しています。しかし自分の状態がわからず、どうにかなってしまうのではないかという不安と恐怖の中で、自分の状態に対する診断がついたことに安心した部分もこのときにはありました。

通院と投薬治療

前回の記事で電車の中でパニックになり、以後乗車できない状態に陥ったことをお話ししましたが、その後、自宅からの外出もできなくなり、病院のみ何とか通院するという生活が続いていました。

通院する中で、もちろん症状を訴えたからではあるのですが、薬の量は徐々に増えていき、やがて透明な袋の中身は九錠(だったと記憶)まで増えていました。

薬の種類も変わって濃紫色や茶色など様々な種類の錠剤が入っているのがわかりました。

たしかに薬を服用すると不安、恐怖、悲しみを感じにくくなり(それらを《抑えている》感覚)、夜も頭が冴えて不眠傾向だったのが、すぐに熟睡するようになりました。

しかし説明を受けていましたが、副作用として呂律(ろれつ)がまわりにくくなる、喉が渇く、頭がボーッとする、眠けが生じる、尿を止めにくくなるなどが生じ、また就寝中に非常に大きな鼾(いびき)をかくようになりました。

もちろん就寝時の眠りは深く自分ではわからないのですが、余程大きな音だったようで母親から心配されたこともありました。診断を受けてから一年弱、このような生活が続くことになりました。

(余談ですが、診断を受けた大学2年時は通学できなかったため、授業単位のほとんどを落としてしまうことになりました。しかし当時のおおらかな気風?のためか進級することができました。)

リハビリ

外出することができない状態ではあったものの、薬で状態を抑えることはできていたため、進級してからは少しずつリハビリを行うようになりました。

しかし薬を服用した状態であっても、いざ外出への不安感は非常にありました。このためリハビリは小さな所から少しずつ段階的に行いました。

まずは自宅の玄関から足を一歩、外に踏み出してみる。それだけで非常な負担であるため続けて行うことはせず、翌日には自宅から数メートルの地点、さらに翌日にはエレベータの前までといったように目標地点を伸ばし、達成した体験を積み重ねるようにしていきました。

当初は幸いにも親の協力があって付き添ってもらいながら、これを繰り返していきました。達成できた部分は不安感が和らぐため、それをもとに少しずつ積み重ねていきました。

やがて最寄りの駅に到達できるようになり、そこから先は自分一人でこの繰り返しを続けていきました。

まずは電車に一駅だけ乗ってみる。そして翌日には目標とする駅を伸ばしていく。やはり電車の中でパニックになった体験から非常な負担であり、そのような状態にはならないということを確認しながら、最終目標の大学のある駅まで少しずつ進めていきました。

当時自宅は東京周辺の県にあって都内に大学があり、通学には片道およそ一時間半弱かかりました。このため普通は快速電車を利用するのですが、複数の駅を通過する快速電車は比較的拘束時間が長いという不安感から、しばらく各駅停車のみを利用する状態が続きました。

大学に到達できるようになっても最初は授業に出ずそのまま帰り、翌日から出席する授業の数を段階的に増やしていく。またここでも負担を避けるため、最初は途中退室がしやすい大教室の講義形式の授業で、できるだけ後側の席に座るなどし、徐々に馴らしていきました。

このようなリハビリを三か月(だったと思う)ほど繰り返し、学生生活に復帰することができました。この少しずつ積み重ねていくリハビリの期間は、なかなか大変だったと記憶しています。

薬で症状を抑えることによって学生生活に復帰し、友人にもそのことを伝えました。しかし友人と食事するにも、学食で麺類ならば食べられるようになったのですが、それ以外の食事をするまでにはならず、飲食店に入るには緊張する状態が続きました。

減薬のきっかけ

大学のキャンパス内で気分が優れなくなり、保健センターを利用したことがありました。保健婦に気分が悪いことを話し、ベッドで休ませてもらったのです。

 

 

減薬するようになったきっかけ、それは偶然によるものだったと言えます。
当初、自分から意図したものではありませんでした。

大学に通えるようになった頃、大学に診療所が設置されていることを知りました。
そこでは、学生証を提示すれば、診療費が無料(だったと思います)ということでした。

通院していた病院は自宅から最寄りでしたが、それでもやや距離がありました。
そこで、通学のついでに通院できて、経済的な負担もない大学の診療所に通うことにしました。

先ほど大学の保健室で鼾を職員に心配された出来事をお話ししました。
このとき、薬を飲むときに持っていた薬袋を見せたのですが、錠数の多さに驚かれたことがありました。

通院していたところとは、別の医師の意見も聞いてみたい。
そのような思いもあったと思います。

その診療所には、提携する大学病院から医師が派遣されてきてました。
曜日によって専門の異なる医師が派遣されていました。

そのほか看護婦が一人、常駐していました。

今でもよく覚えていますが、診療所に初めてかかったときのことです。

医師に、それまでの経緯を話し、持っていた薬を見せました。
白髪まじりの年配でベテランといった雰囲気の方でした。

医師は、管理人が持っていた薬袋を手にとって一瞥しました。

そして処方したのは、驚くことに薬一錠でした。
それを一日に二度飲むだけ。これで大丈夫、と言われました。

自宅に戻ってこのことを親に話しました。
鼾のこともあり、やはり薬が体に負担になっているのではないか。その医師を信じてみたら。

そうした話をして、それ以後、例の九錠の薬を止めることにしました。
しかしそれは、勇気が要るものでした。

というのも、薬の効果が切れてくる(ように感じる)と、その途端、症状がぶり返してくる。
そのことを身をもって知っていました。

不安、恐怖などの想念が戻ってきて、体も極端に重くなる。
そして、薬で保たれた状態からの反動からなのか、極端に状態が悪くなったように感じることもあったためです。

先ほどの大学の保健室の出来事もそうですが、たとえ気分が悪い状態であっても、薬を飲むことで急速に回復できる。
症状を抑えるには薬だけが頼りであり、それをやめることは勇気が必要でした。

その後、しばらく大学の診療所に通院し、薬一錠で過ごすようにしていました。
しかし症状の辛さから、以前の病院とは異なる、自宅からやや離れた別の病院に移りました。

そこでは、おおむね二、三錠の薬が処方されていました。その状態が一年ほど続いたように思います。

薬を完全にやめることができたのは、もう少し後のことです。
これはまた別の機会にお話しします。

そして、こうした通常の治療以外の途として、最初の気功に出会ったのもこのころでした。
それも偶然によるものでしたが、その内容は次回、お話しすることにします。

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心理カウンセリングの体験

大学に復帰した頃に、心理カウンセリングを利用したことがありました。

たまたま親の知人に、心理カウンセラーをしているという人がいました。
そして、その方から紹介されたところに行ってみることにしました。

通院では投薬が中心で、医師による問診が短時間だったということもあります。
症状以外の、自分の心の状態を話す時間がありませんでした。

紹介されたカウンセラーは、中年の男性で、某国立大学で非常勤講師もしているという方でした。

カウンセリングでは、管理人の近況、思っていることを止めどなくお話しする
そして、それに対応していただく形でした。

だいたい一回につき三十分程度だったと思います。

対応といっても、基本的に「ウン、ウン」と頷いて、時折メモを取るといったようなものでした。

特にどのようにした方がよいとか、方法の提案などもありません。
カウンセラーのところへ行って、基本的に管理人がお話しして、カウンセラーは頷く。

この繰り返しでした。
(それが心理学で良いとされる、相手を否定せずに受け入れる方法だからだとは思うのですが。)

自分の思いを吐露して、それを理解してもらう。

相槌を打ってくれるだけなのですが、自分の思いを理解して共感してくれることに、感情的なカタルシスを感じることがありました。

しかししばらくして、それがどういうわけか心地よくないと感じるようになりました。
おそらく自分が話している内容が、自分にとって心地よくない

話す内容は、当然、明るい内容ではありません。
自分が辛く、苦しい状態にあることをお話しすることになります。

そうした状況に対して、自分で分析してみせたりすることもありました。

しかし逆に、この話すという行為によって、自分が話す内容に嵌まり込んでいるのではないか
そのように感じたことがありました。

自分で話している内容に、自分で興奮をおぼえたり、悲しんだりすることもあります。

やがて半年ほどして、カウンセリングを受けることはなくなりました

(後に中村天風氏の著作を読んだとき、これも一種の暗示習性によるものではないかと思ったことがありました。これについては別の機会にお話しします。)

自分を分析するということは、病気のときによくしていました。
何か自分の状態を分析せずにはおられない。

何が原因で、何がきっかけで、何の出来事がきっかけで、自分はこうなったのか。
その原因や出来事を突き止めれば、対処して乗り越えることができるのではないか。

そのように感じていました。

カウンセリングに対しても、専門家の立場から、自らのこうした問いに対する有益な答えが得られるのではないか。
それによって原因が特定されて、乗り越える何ならかの示唆を得られるのではないか。

そうした期待もありました。

自分がどのような人間なのか、冷静に、論理的に分析することができた。
そうした感覚に囚われることもありました。

しかし先ほどと同じように、自分の分析やストーリーテリングに嵌まり込んでいるのではないか

さらに、冷静に、論理的に分析できたという感覚によって、逆に疑いなく、分析によってできた自己像に嵌まり込んでしまっていないか。

その自己像が肯定的なものならばよかったのかもしれません。

しかし病気の状態にある自分に対して分析を通じて得られたものは、どこか自分を欠損した存在として捉えているものでした。

しかしそれは、本当に自分の事実なのだろうか?
その自己像に嵌まり込む危険性はないのだろうか?

カウンセリングに通わなくなった後ですが、そのように思い当たったことがありました。

後日談ですが、克服してから二十年が経った現在でも、何が原因だったのか、そもそも原因自体があったのかも、わかりません

わからないまま、病気は癒りました。

その過程では、いくらでも湧いてくるこうした自分の分析からの離脱、ということがありました。

それは哲学、思想などの本を読んだ結果なのですが、詳しくは別の機会にお話ししたいと思います。

 

以下やや余談になりますが、カウンセリングでは心の問題のほか、興味のあることなどの雑談も行いました。
その頃興味をもっていた哲学、思想について、本の紹介を受けたこともありました。

紹介された本で現在でも覚えているのは、特定の世代の方は、おわかりになるかもしれません。

吉本隆明氏の「共同幻想論」、そして実存哲学のサルトル「嘔吐」です。(吐き気に苦しんでいたので、このセレクトはどうかと思いましたが。)

どちらも全共闘世代(管理人の親世代)に流行したものです。

個人の感想としては、前者は面白かった。後者はつまらなく、病気にとっても良くなかった。

前者のキャッチフレーズ「国家とは幻想である」という言葉。
この「幻想性」というのは、後にインスピレーションになったかもしれません。

これら以外にも、病気の間、いろいろな本を読み、影響を受けました。

病気に対処するという点では、正直、役に立たなかったものが多かったです。
しかしなかには、病気を抜けるうえで、認識の変化のきっかけになったものもありました。

このあたりについては、別の機会にまとめてお話ししたいと思います。

振り返ってみれば、これらの雑談も、カウンセリングの一環だったのかもしれません。

 

カウンセリングでは、心理学の本の紹介もありました。
雑談で、管理人が心理学に興味を示したためです。

記憶しているところでは、河合隼雄氏のユング心理学に関する著作、フランスのメルロ=ポンティの著作などです。これらの本は、実際に読みました。

病気に対処するのに役立ったかについては、「ウーン」と言ったところでした。
大学で心理学の講義を聞いたこともありますが、こちらも同様でした。

森田療法と呼ばれる、温暖の感覚などを使った方法の本も、読んで試したこともありました。
しかし症状が緩和されるなどの効果は感じられませんでした。

もちろん読んで知った限りでの印象です。
しかし残念ながら、病気から抜けるための方法、認識の変化といったものは得られませんでした。

病気から抜けるための何らかのヒントが得られるかもしれない。
当初はそうした期待がありました。

しかし以降、とくに心理学の本を読むことはありませんでした。

心の状態を分類し説明しているだけで、病気に対処して抜けるための方法を提供していない。
そのように感じたためでした。

 

今回の記事では、お話しはこのあたりにしたいと思います。
いかがでしたか?

病院で診断を受けて、通院しながら大学に復帰するためのリハビリをした大学二年の頃。
大学に復帰し、大学生活を送りながら診療所に通院、心理カウンセリングを受けた大学三年の中頃まで。

このあたりの経緯についてお話しさせていただきました。

通院投薬については、同じような体験をされた方もいらっしゃると思います。

なお、心理カウンセリングについては、認識の変化とともにやめた経緯をお話ししました。
しかし中には、心理カウンセリングでうまく行っている方もおられるかもしれません。

病気の背景はそれぞれであり、感じ方もそれぞれだと思います。
その場合は、参考にとどめおいていただければ幸いです。

次回は、転機となった気功との出会いと、その中で得られた体験をお話ししてみたいと思います。
これまでの通常の治療からどのように変化していったのか。

気と心と体のお話しです。
まだまだお話しは長く続きます。

今回の記事は以上になります。ご覧いただきありがとうございました!


著者・管理人:柊 基博(Hiiragi Motohiro)


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