うつ病、パニック障害を克服するまでの途 Ⅱ ー通院、カウンセリングと投薬治療ー

2023年9月30日

前回の記事では、学生時代に急速に心と体の状態が悪化して、病院に駆け込むまでの経緯をお話しをしました。病院に駆け込む段階の状況は、現在も憶えていますが、かなり限界に達した状態にありました。

電車の中で起こった現象や、自分の意識が引き込まれたり、意識が消滅するかのような恐怖に対して、果たして自分は一体どのような状態に陥っているのか、一刻も早く知りたいという差し迫った状態でした。

今回の記事は、駆け込んだ病院でどのような診断を受け、そして通院しながらの投薬治療がどのようなものであったのか。さらに病院のほか心理カウンセリングを利用する機会もあったので触れることにします。

これらは心の病気に罹った方が一般的に体験される内容でもあるかと思いますが、ここでは、外出できない状況からどのように学生生活に復帰したのか、さらに偶然にも薬を減らすことになった経緯をお話しすることにします。

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通院、投薬治療の経緯

診断

自分の状態に限界がきて、自宅から最も近い精神科の病院を探し、駆け込みました。駆け込むと言っても症状は酷い状態であり、なんとか辿り着いたという状態でした。

中に入ると待合には結構な人が待っていましたが、診察を申し込みました。やがて自分の名前が呼ばれ、まず看護婦と面談がありました。自分の状態をお話しして看護婦はそれを書き留め、さらにしばらく待合で待った後、医師からの診察がありました。

医師は眼鏡をかけた中年の男性で、看護婦が書き留めた記録の内容に目を通し、
うつ病、不安神経症、パニック障害との診断がありました。

そして薬を処方するので服用する旨と、その副作用のお話しがありました。医師との面談は数分程度の短時間だったと思います。

副作用としては喉が渇いたり、眠くなったり、言葉を話すときに呂律(ろれつ)がまわりにくくなったり、やや尿を止めにくくなったりするというものでした。

その後、薬局で薬を受け取りました。白い三角形の錠剤を三錠、一日三回、食後に服用するよう言われました。(薬の名称は失念してしまいました。)

薬は各回に服用する分をまとめて透明な袋に入れたものが、紐状に繋がったものとなっており、これらを薬局の紙袋に入れて渡されました。

最初に薬を飲むときには、副作用の話しもあり精神薬を飲むことへの抵抗はあったのですが、やはりこれで苦しい症状から解放されるのだという期待の方がはるかに上回りました。

またその夜には、苦しさのあまり精神科の病院に行ったことを母親に話したのですが、悲しんでいたことを記憶しています。しかし不安と恐怖の中で、自分の状態に対する診断がついたことに安心した部分もこのときにはありました。

通院と投薬治療

前回の記事で電車の中でパニックになり、以後乗車できない状態に陥ったことをお話ししましたが、その後、自宅からの外出もできなくなり、病院のみ何とか通院するという生活が続いていました。

通院生活が続く中で、症状を訴えたからではあるのですが、薬の量は徐々に増えていき、やがて透明な袋の中身は九錠(だったと記憶)まで増えていました。中には濃紫色や茶色など様々な種類の錠剤が入っていました。

たしかに薬を服用すると不安、恐怖、悲しみを感じにくくなり(それらを《抑えている》感覚)、夜も頭が冴えて不眠傾向だったのが、すぐに深く眠るようになりました。

しかし事前に説明があったように、副作用として呂律(ろれつ)がまわりにくくなる、喉が渇く、頭がぼんやりする、眠くなる、やや尿を止めにくくなることが生じ、また就寝中に非常に大きな鼾(いびき)をかくようになりました。

もちろん就寝時の眠りは深く自分ではわからないのですが、余程大きな音だったようで母親から心配されたこともありました。診断を受けてから一年弱ほど、このような生活が続くことになりました。

(余談ですが、診断を受けた大学2年時は大学に通学できなかったため、授業単位のほとんどを落としてしまうことになりました。しかし当時のおおらかな気風?のためか進級することができました。)

リハビリ

学年が進級したことを区切りとして、外出もできない状態ではあったものの、薬である程度は状態を抑えることができていたため、少しずつリハビリを行うようになりました。

しかし薬を服用した状態であっても、いざ外出への不安感は非常にありました。吐き気が生じて、体の力が抜けてしまうのです。このためリハビリは小さな所から少しずつ、焦らずに行いました。

まずは自宅の玄関から足を一歩外に出してみる。それだけで非常な負担であるため続けて行うことはせず、翌日自宅から数メートルの地点、さらに翌日エレベータの前までといったように目標地点を伸ばし、できると思う範囲で達成した体験を積み重ねるようにしていきました。

当初は幸いにも親の協力があって付き添ってもらいながら、これを繰り返していきました。達成できた部分は不安感が和らぎ、それをもとに少しずつ積み重ねていきました。

やがて自宅から最寄りの駅に到達できるようになり、そこから先は自分一人でこの繰り返しを続けていきました。

まずは電車に一駅だけ乗って引き返す。そして目的地となる駅の距離を伸ばしていく。やはり電車の中でパニックになった体験は非常な負担であり、そのような状態には陥らないということを確認しながら、最終目標の大学のある駅まで少しずつ進めていきました。

当時自宅は東京周辺の県にあって都内に大学があり、自宅から大学までの通学には片道およそ一時間半弱かかりました。普通は快速電車を利用するのですが、複数の駅を通過する快速電車は比較的拘束時間が長いという不安感から、しばらく各駅停車のみを利用する状態が続きました。当初は途中下車して休憩?することもありました。

大学に到達できるようになっても最初は授業に出ずそのまま帰り、次から出席する授業の数を段階的に増やしていく。また心理的な負担を避けるため、最初は途中退室のしやすい大教室の講義形式の授業を選んで一番後側の席に座るなどし、徐々に馴らしていきました。

このようなリハビリを三か月(だったと思う)ほど繰り返し、学生生活に復帰していきました。少しずつ積み重ねていくこのリハビリ期間は、なかなか大変だったと記憶しています。

しかし食事するにも、学食に入って比較的少量の麺類ならば食べられるようにまでなったのですが、それ以上の食事をするまでにはならず、友人と飲食店に入るには非常に緊張するというような状態が続きました。問題なく食事が楽しめるようになるのは、まだ先のことになります。

大学の保健センターで

以前も少し触れましたが、症状は薬で抑えているといった感があり、薬の効果が切れた(ように感じた)ときに症状が戻ることがありました。このため当時、通学するときに必ず薬を携行するようにしていました。

学生生活に復帰して間もない頃ですが、大学のキャンパス内で気分が優れなくなり、学内の保健センターを利用したことがありました。そこで保健婦に気分が悪いことを話し、ベッドで休ませてもらったのです。

実はここでも母と同様に、かなり大きな鼾をかいて熟睡していた(薬を飲んだときには深い眠りになります)ことを保健婦にも指摘されました。またこのとき携行していた薬を飲む水をもらうため、例の透明な袋に入った薬を見せたのですが、その錠数の多さに驚かれました。

減薬のきっかけ

しかしこの出来事があったので薬を減らそうと試みた、というわけではありません。やはり薬を減らすことで以前の症状が戻ることになれば、苦しい状態になるからです。

薬を減らすこととなったのは自分が意図したものではなく、偶然によるものでした。しかしこの出来事は、それまでの流れに対して一つの転機となったので、以下にお話ししてみたいと思います。

先ほどの出来事があってから間もなく、大学のキャンパス内に、医師がいる診療所があるということを知りました。しかも学生証を提示すれば、診療費は無料(だったと思います)ということでした。

通学していたのはミッション系の大学だったのですが、その系列の大学病院から医師が派遣されてきているとのことでした。曜日によって診療科が異なっており、精神科の診療もしていました。

当時通院していた病院は自宅の最寄りということでしたが、それにしても距離がありました。こちらは通学のついでに診察を受けることができ、しかも経済的な負担がありません。また、医師が異なっても意見が果たして同じようなものなのか、何か得ることがあればとの思いもありました。

実際に行ってみたところ、学内の目立たないところに佇み、医師のほか看護師が一人だけ常駐する小さな診療所でした。そこで初めて診察を受けたときのことは、現在もよく覚えています。

医師は、白髪交じりで眼鏡をかけた年配の男性でした。その医師に向かって、それまでの自分の状況、経緯を話し、いつも必ず携行していた例の透明の袋に入った薬を見せました。

医師は薬の入った袋を手に取って一瞥したのみで、薬を処方する旨を言いました。そこで処方された薬は、一錠を一日2回飲むというものでした。そして、これで大丈夫、と言われました。

診療所の受付で紙袋に入った薬を受け取り、内容を確認したのですが、小さく黄色い薄型の錠剤一種類のみでした。当時服用していた薬は錠数も多く、見た目にもかなり大きい錠剤も複数含まれていたので、その違いに驚いたことは間違いありません。

このときの診察はこれで終わって、自宅に帰ったときに母親に話しました。母からは、鼾が相当に大きいこともあり、やはり薬が体の負担になっているのではないか、その医師を信じてみたらどうか、という話しをされました。

自分もその医師からの大丈夫、という言葉を疑う気にはなれず、大学の診療所に通院することにしました。そして医師からの言葉を信じ、多量の薬を飲むことを止めることなったのですが、それは勇気が要るものでした。やはり症状がぶり返して、以前の状態に戻ることへの恐れがあったためです。

先ほど大学の保健センターを利用したお話しをしましたが、薬の効果が切れてくる(ように感じる)と、症状が戻ってくることを身をもって感じていましたし、薬で抑えていたことの反動からか、さらに状態が悪くなったように感じることもあったためです。

しかし一方で、先ほどの医師の言葉のほかにも、母親の言葉にもありましたが、薬の副作用から感じる体への負担への憂慮もありました。また、学校生活に復帰できていたことへの自信もあったと思います。出席する授業数は多くなく、体調が今一つのときには授業に出席せず帰ることもありましたが、通学する生活は続けることができていました。

これらの背景もあり、いざというときのために以前の薬の携行を続けながらですが、大学の診療所に通院し、薬一錠で過ごす生活を続けました。リハビリの成果によってある程度の自信がつき、不安の軽減もあったためなのか、通学する生活を続けることができました。

転院

そのままトントン拍子に進めばよいのですが、なかなかそうはいきません。この生活をわずかな間続けたのですが、やはり症状の辛さを感じるところがあったため、転院することにしました。

しかし以前の開業医には戻らず、自宅からは少し離れていたものの、当時居住していた県の国立大学近くにある開業医にしました。その国立大学とも提携しているという部分に目を引かれたのだったと思います。病院は明るい事務オフィスのような雰囲気で、これまでの医師と比べて比較的若い男性の医師が、初回から直接問診をしてくれました。

薬の処方は、状況によって波はあったものの、通学ができるほど症状も落ち着いてきていたため、おおむね一回2、3錠服用する程度の処方がなされていました。薬の副作用も、喉が渇く、眠くなるなどはありましたが従前ほど大きくはありませんでした。

症状はある程度はあったものの、通学できる程度には症状を抑えることができていたため、体への負担を鑑みて、以降この病院へ一年ほど通院を続けることになりました。

薬を完全に止めて病院を卒業することができたのは、もう少し先のことになります。そこに至るには、また大きな流れの変わり目があったのですが、その内容は次回の記事にてお話しすることにします。

さて、これまでの診断はうつ病、不安神経症、パニック障害とのことでしたが、この病院に通院する中では、自律神経失調という診断を受けたこともありました。

症状としては言葉で表現することが難しいのですが、体全体に何か不快なものがまとわりつく感覚があったり、あるいは背中の肩甲骨の内側や膝裏が気だるかったり、胸のあたりに重苦しい何かがまとわりつく感覚があったりして、倦怠感や体の所在のない感覚と相まって不快な感覚を催していました。

これらの症状はかなり以前からあったのですが、薬によって比較的大きな症状?が抑えることができてきたため、この頃から目立ってきたのだと思います。さほど大したことではないと思われそうですが、常にこのような状態であるため落ち着かず、心にも常に否定的な影響がありました。

これらを解消できればと医師に伝えたところ、生活リズムの乱れなどが原因として上記の診断があったのですが、薬の効果もなかなか及び難いものでした。

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心理カウンセリングの体験

上記の転院の出来事と同じ頃合いに、臨床心理士による心理カウンセリングを利用する機会がありました。

母親の知人に臨床心理士をしている人がおり、母親が私のことを話したところ、知り合いを紹介するので心理カウンセリングを利用してみたらという話しになり、受けてみることにしました。

受けてみることにした動機としては、通院生活では医師による問診というのは比較的短時間で、例えば自分の心に去来する想念や感情の内容など、詳細に聞いてもらう時間というのはありませんでした。一方の心理カウンセリングでは、話しを聞いてもらうことができるものの薬の処方というものはありません。

なお、以下に心理カウンセリングでの体験をお話しするのですが、批判と受け取られるかもしれない内容を含んでいます。しかしあくまで一つの体験例であり、心理カウンセリングで上手くいっている方などは参考程度とし、場合によってはこの部分は飛ばしていただければと思います。

さて予約した時刻になって紹介を受けた場所に行ったところ、明るい家の部屋といった雰囲気のところで、面談を受けることになりました。面談時間は一回につき大体、半時間(三十分)程度でした。

紹介されたカウンセラーは、中年よりやや手前といった感じの眼鏡をかけた男性で、穏やかな雰囲気の方でした。初回にいただいた名刺には某国立大学での講師の肩書もある方でした。

面談はカウンセラーとテーブルを挟み、対面で話しをしていくものでした。特にカウンセラーからいろいろ質問をされるという形式ではなく、どちらかと言えば、こちら側から現在の状況、例えばどのようなことを考えたのか、感情の状態がどうだったのかなどを話し、それに対してカウンセラーが相槌を打って時折手元の用紙に記録するというようなものでした。

自分の考えていることや、感情の状態に対して肯定的な相槌を打って受け入れてくれることに、特に最初の頃には自分の状態を理解してもらえていると感じ、共感による一種のカタルシスを感じていました。(心理学では否定せずに受け入れることを良しとすることはわかっていましたが。)

その後、上記のように自分の状態を話しながら半年ほど通っていたのですが、この繰り返しであり、心理学の見地からの状態の分析だったり、どのようにしたら良いかといった方法の提案をしてもらったことはありませんでした。

当時はうつによる否定的な心境で、自分がそのような状態になったことには何らかの心理的な原因があって、例えばきっかけとなった出来事などの原因を特定することができれば、対処し乗り越えることができるのではないかと思っていました。

そして自分で自分を分析するということを常にしていたのですが、それは早く苦しい状態を抜け出したいがため、果たして何が原因なのか分析せずにはおられなかったのです。

そしてカウンセラーに対してその《分析結果》を話すのですが、戻ってくるのは穏やかに受け入れる相槌のみであり、期待したような専門家による助言や示唆というものはありませんでした。

しかしカウンセリングではそのような自分の状態を話すことのほか、様々な雑談も行いました。その中には、例えば本の紹介のようなこともありました。やはり自分が心の病気であることから、心理学の知識を得たいと思ったのは当然の流れであったと思います。

心理学の本として実際に読んだものとしては、現在では故人となってしまいましたがユング心理学で著名な河合隼雄氏が書いた解説本であるとか、心と体をつなぐ心理学を提唱したメルロ=ポンティの著作などでした。

しかしこれらはどちらかと言えば人間心理についての思想といった印象であり、自分の心の状態を知るため実際に役立ったのかと問われれば甚だ疑問が残るものでした。また、大学で心理学概説の講義を受講したこともありますが、こちらも人間の心の状態を類型化して見せたのみといった印象で、やはり同様の感想を持ちました。

このため、心理学は自分の状況を改善する具体的な方法は示すことはなく、改善につながる認識の変化ということもなく、残念ながら役立たないという感想を持ちました。臨床的な分野ともなればひょっとしたら事情は異なったのかもしれませんが、このときにはそこまで至らず、以降心理学についてはほとんど手を出すことはありませんでした。

カウンセリングではもちろん他の分野についても話題は及びました。当時は学生だったこともあり、思想や哲学の本を読むことがあったのですが、それに関連して紹介されて読んだのは、吉本隆明の「共同幻想論」、実存主義哲学で著名なサルトルの小説「嘔吐」でした。(吐き気の症状で苦しんでいたのにこのタイトルは、とも思いましたが)。いずれも私よりずっと上の全共闘世代の必読書?だったものです。

果たして改善に役立ったのかと問われれば、前者の本で言えば、例えば国家のような存在を共同幻想として捉えるということは、あらゆる存在の実体を前提にする自分の認識のあり方に対して示唆がありました。自分が認識する世界には観念が実体のようにもたらす幻想の部分があるということは、心の負担を和らげるものでした。

後者については、実存哲学は人気のある思想であることは知っていましたが、タイトルにも表れているとおり、自分の病状にはあまりよくない影響をもたらしました。小説の主人公は自分や周囲の移り行く存在の状況を過度に意識して、嘔吐感をもよおすという内容(だったと思う)なのですが、私の病気の状況に対しても思想として妙な同調をしているように感じてしまい、自分には合わないと感じました。

このほか話題はライトノベルの分野まで及ぶこともあり、例えば「銀河英雄伝説」という作品についてこれは名作である、と推薦を受けたこともありました。(なお、この作品ははるか後年になって視聴する機会があり、成程名作だと思いました。)

このようにカウンセリングでは、自分の状態の《分析結果》を話すことを主軸としながら、話題も硬軟ともに様々な分野に及ぶというような形で進んでいきました。一見関係のなさそうなところから思わぬ影響を受けたり、あるいは心理学のように必要なのかなと思ったものの、期待がはずれたものもありました。

やがてカウンセリングを続けて半年ほど経った頃には、当初あったような共感によるカタルシスを感じることがなくなり、さらにはカウンセリングを受けることが心地良くないと感じる機会が増えていきました。カウンセリングを受けた後にも、心と体が重くすっきりしない感覚が残るようになりました。

これに対しては、次のことが思いあたりました。それはカウンセリングの主軸となっている自分の状態を話すということが、心地が良くないというものです。そのことを話すよう強制されているわけではないのですが、心理カウンセリングに来ているという建前上、カウンセラーに自分の状態を話すことを続けていました。

自分が話している内容に対して、心が興奮を覚えたり悲しみを感じたりすることは、心が病気の状態でなくともあることです。病気だったときには心はより敏感に感応しやすく、自分が辛く、苦しい状態にあることを話すことに対して感応することは、負担だったのではないかというものです。

そしてもう一つには、自分の《分析結果》についてです。もともとは頭の中で考えたことに過ぎないのですが、それを話すという行為はストーリーテリングにあたります。自分はどのような想念や感情を抱いたのか、それは何が原因なのかという自分に対する《分析結果》を、話すという行為によってまとめていくことになります。

しかしこのことによって、逆に自分の方がこの《分析結果》に嵌まり込んでしまっているのではないか、と感じたことがありました。これらを話すことは、つまり自分は現在どのような人間なのかを話すことにつながります。

そして心が病気の状態にある自分に対する《分析結果》は、どこか常人とは異なって欠損していると感じているところがあり、それを論理的(と自分は思っている)に話してまとめていくことが、否定的な自己像につながってしまっているというものです。

当時はこれほどはっきりとしたものではなく、何となく感覚としてではあったのですが、上記のような感触を抱くようになりました。(後年、中村天風の著作を読む機会があり、これらは自分に対するある種の否定的暗示につながっていたのではないかと思いました。)

そして、カウンセラーに対して話している《分析結果》や、話すことを通じて《まとめられた》自己像というのは本当に事実なのだろうか、自分を反映したものなのだろうかという疑念を抱くようになりました。このような想いを抱く頃には、自然とカウンセリングに通うことはなくなっていました。

以上がおよそ半年間、心理カウンセリングに通った体験の内容になります。

ところで自分を分析するという心の作業は、この心理カウンセリングを体験するはるか以前から行っていました。先にもお話ししたように、早く苦しい状態を抜け出したいがため、何が原因となっているのか分析せずにはおられなかったのです。

普段は否定的な想念、感情で満ちているのですが、時折それらが消えて頭が冴えたような感覚になることがあり、このようなときには論理的な思考(と自分は感じている)が次々に頭を駆け巡って、冷静かつ論理的な分析ができたように感じることがありました。それがため、分析による自己像に嵌まり込むということは、カウンセリングを受ける以前よりありました。

心理カウンセリングに対する先ほどの疑念を抱いたことは、以前よりあったこの自分に対する分析に嵌るということから脱する機会となりました。現在となってはひょっとしたら、このことも心理カウンセリングの狙いの一つであったのかも、と思います。

後日譚になりますが、心の病気になった心理的な原因は何だったのか、何か心理的なきっかけがあったのかなどわかることはなく、わからずとも結果として病気は解消されることとなりました。むしろ分析によって《作り上げた自己像》に嵌り、それによって心や認識が縛られるまずさを感じることとなりました。

また自己像には、うつ病、パニック障害といった診断結果と結びついたものもありました。当初、これらの診断は状態のわからなかった自分の心を定義づけて安心させてくれたのですが、逆に《うつ病、パニック障害の自分》という認識に縛られるようになっていました。

心に否定的な想念、感情がある度に、常人の心とは異なる《うつ病、パニック障害にある自分》という認識に引きずられ、それがさらに否定的な想念、感情を生む。妙な言い方になりますが、診断結果の病名に嵌まりこんだ自分へのまずさにも気がつくことになっていきました。

***

今回の記事では、お話しはこのあたりにしたいと思います。いかがでしたか? 今回の記事の内容を簡単にまとめれば、次のようになります。

・大学2年次となって症状が限界に達し、自らの状態を知るため自宅近くの病院に駆け込んだところ、うつ病、不安障害、パニック障害との診断を受けた。診断によって安心感を得る部分はあったのだが、通院と投薬治療を続けるなかで、薬の錠数は一度に九錠(だったと記憶)を服用するまでに増えていった。薬は症状を《抑えた》が、喉が渇く、眠くなる、呂律(ろれつ)が回りにくくなる、やや尿が止めにくくなるという副作用もあった。就寝時に大きな鼾をかいて母親に驚かれたこともあった。

・通学や外出ができない生活を一年弱続けていたが、学年の進級をきっかけとしてリハビリを始め、自宅から出て、設定した目的地まで行くといった作業を少しずつ繰り返して達成していった。達成された部分はやや不安が和らぎ、やがて電車の乗車も可能となり、通学生活にも復帰することができた。

・通学時に具合が悪くなり、大学の保健センターを利用する機会があったが、保健婦に薬の錠数と就寝時に大きな鼾をかいて驚かれた。その後、大学の診療所の存在を知って通院し、医師にそれまでの経緯を話して薬を見せたところ、薬一錠を服用することとなり、これで大丈夫と言われた。体の負担も考慮してしばらく減薬生活を続けていたが、症状の辛さから別の病院へ転院し、2、3錠の投薬治療を続けた。この病院では自律神経失調症との診断も受けた。

・転院と前後して心理カウンセリングを利用する機会があった。当初はカウンセラーの共感によるカタルシスを得ることができたが、半年ほどして自分の状態を話すことが心地良くないと感じるようになった。自らのストーリーテリングに嵌まり込んでいることに気づき、自分の状態や病気の原因を分析してその結果に嵌ることから脱するきっかけにもなった。

今回は通院と投薬治療の内容についてお話しさせていただきました。薬の錠数のお話しは別として、この病気に罹患された方の多くは体験されていることではないでしょうか。また、私の場合は偶然の経緯にもよりますが、減薬したこともお話しさせていただきました。

なお、心理カウンセリングについては上記のような経緯により利用しなくなりましたが、ご覧の方の中には上手く行っている方もおられると思います。あくまで体験の一例として、参考にとどめていただければ幸いです。

次回は、これまでの流れと異なる転機となった、気功との出会いとその体験についてお話しします。現在から振り返っても、この出来事がそれまでとは大きく流れを変えることになったと思っています。このサイトで紹介している呼吸法といった方法も、この体験での気づきが元となっています。

この頃は通学生活まで復帰することはできましたが、薬で症状を《抑えている》状態であり、それも完全なものではありませんでした。外食などが普通にできるというものでなく、心と体そのものが健常の状態に戻ったという感覚ではありませんでした。それはあくまで《抑えてる》という感覚です。

この状態を続けていくことで、やがて病気が解消されるのかもしれませんが、私の場合は、最初の病院で診断を受けてから一年半後もこのような状態でした。その流れを変えるきっかけとなったのが、次回にお話しする内容になります。お話しはまだまだ長く続きます。

今回の記事は以上になります。ご覧いただきありがとうございました。


著者・管理人:柊 基博(Hiiragi Motohiro)


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