うつ病、パニック障害を克服するきっかけとなったエピソード
「うつ病、パニック障害を克服する何かきっかけとなったことはあるのか?」
そういう疑問を持つ方もいらっしゃるかもしれません。
管理人の場合には、うつ病、パニック障害を克服するまで3年ほどの時間がかかっていて、「ある出来事で突然に全快した」というような体験はありません。
しかし、克服する方向に動き始めたきっかけとなったエピソード。
そうしたものがあるのかと問われれば、それはあります。
うつ病、パニック障害で揺らがない心にするために の記事でも少し触れましたが、紹介してみたいと思います。
病気だったとき、ふと気が向いたので奉仕活動に参加したことがありました。
といってもほんの1~2時間程度で、街の路上で生活されている方などにお弁当を配布するお手伝いというものです。
しかし参加をするにしても、その当時の管理人は、心と体が「主観的には超重量級」でした。
心は霞がかかったように暗く重い。体もだるくてとても重い。
家でも布団の上で横になっていることが多い。
そういう状態でした。
また、病気だったときの管理人の心は、不安と恐怖心でいつも覆われた状態でした。
そんな自分の心の状態をみて、人の心というのは実に混沌とした、何が湧いてくるかわからない、
底の知れないものだ。
そういうふうに思っていました。
そして、そういう心を持った人間という存在、その人間が構成する社会に対しても、どこか暗いイメージを持っていました。
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たまたま参加した奉仕活動。
それが終わって気がついたのは、自分の心と体の体感の変化です。
奉仕活動が終わって、帰宅する電車の中でふと自分の心と体に意識を向けて見ると、
非常に軽い
そして心の暗さがなく、清々しい
そのとき、管理人は思いました。
これまで自分が心に対して持っていたイメージというのは本当なのだろうか?
何か根本的にずれているのではないか?
その清々しさというのは、何か娯楽で楽しかったとき、肉体的な快楽を感じたとき。
そうしたものとは全く異質の感覚でした。
奉仕活動のような、いわゆる「善い」とされる行為を行ったときの心のあり方。
それを感じてみて、そのとき人の心の性質というのは根本的には「善」なのではないか。
体感をふまえて直感的にそう感じました。
そうでなければ、ずっと取れなかった心と体の重さ。それが、これほど軽くなることはない。
中には悪いことをして快感を感じることもあるじゃあないかと反論する方もあるかもしれません。
しかしそのときの快感というのは、心に何らわだかまりを感じないものだろうか。
このエピソードで得た体感は、そうしたものが一切ない。
つまり「純粋」なものだったと感じています。
書籍などで、いわゆる人に奉仕することは良いと説く思想、哲学などはあります。
病気だったとき、管理人も多くの書籍を読みました。
例えば、仏教でも人を思いやる慈悲、奉仕する布施を行うことを勧めています。
そうした書籍などによって頭で概念として理解して、それによる意識の変化ということもありましたが、この体感によるインパクトは大きいものでした。
自らの体感が、まさにそうなのだと教えてくれている。
これを機会に症状が全快してしまう、ということはなかったですが、
このときの体験を機に克服の方向に歩み始めた。
ずっと暗い底のほうを泳いでいたのが、明るい水面のほうに向かい始めた。
振り返ってそのように思います。
このサイトでも、克服する方法を紹介するにあたって、体感の変化ということを重視しています。
頭で理解するより、自分の心と体を内観して感じてみる。
それはこうした体験によるものだと自分では思っています。
このサイトで紹介している方法を、ぜひ参考にしてみてください。
【メイン記事一覧】
この記事では、うつ病、パニック障害で揺らがない心にする「意識づけの方法」を紹介しています。管理人の体験から、完全に克服する上で「特に重要なポイント」だと考えています。
この記事では、管理人の体験から、うつ病、パニック障害の克服を「気」という視点でお話しします。うつ病、パニック障害のときに、なぜ丹田呼吸で「気を下げる」必要があるのか。なぜ「悪い気を出す」神道の禊がおすすめなのか。その理由と方法をあわせて紹介しています。
この記事では、管理人の体験から、うつ病、パニック障害を克服する過程で行った「呼吸法」を紹介しています。また、管理人が克服する過程で「自ら修得した呼吸法」についても触れています。