うつ病、パニック障害で心を揺らがなくする意識づけの元ネタについて
この記事は、「うつ病、パニック障害で揺らがない心にする方法」の記事で紹介した意識づけの方法に関して、影響を受けた元ネタを要約してまとめたものです。主に、以下の方々の影響を受けています。
・黒住 宗忠(江戸時代の神道家)
・山蔭 基央(昭和~平成時代の神道家)
・中村 天風(明治~昭和時代の心身統一法を説いた哲人)
・サティア・サイババ(近年まで存在したインドの聖者)
これらの方々が「自己」という存在をどのように捉えていたのか、という点を中心にまとめています。その知見などに影響を受けて、自ら病気に対処するための方法としてまとめたものを「揺らがない心にする方法」(→記事)として紹介しています。
宗教上の内容を含みますが、ご参考になる部分もあるかと思いますので、以下に載せておくことにします。なお、本サイトはこれらの関連団体との関係はありません。
黒住 宗忠
黒住宗忠(1780 年~ 1850年)は、江戸時代の神道家。現在の岡山県の神職の家に生まれた。
文化9年(1812年)の32歳のときに両親を相次いで流行病で亡くし、悲しみの内にあって翌年に自身も労咳(ろうがい、肺結核)に罹った。その後3年余り、病状は改善せず死を待つ状態だったところ、文化11年(1814年)の冬至の朝、最期と覚悟して外に出た宗忠は、朝の太陽を浴びる中で天照大神と一体になるという天命直授(てんめいじきじゅ)と呼ばれる神秘体験をした。
宗忠はこのときの体験を「太陽の陽気が身体全体に満ち渡って、胸や肺に照り徹るような気がした。身に迫ってくる温かな玉のようなものを胸におさめて飲み込んだと思うと、さわやかなよい気持ちになった」と述べている。この体験の後、死病と言われた労咳は全快することになった。
この天命直授と呼ばれる体験に先立って、宗忠は「自分は父母の死を悲しみ陰気になったから大病となった。そして、心が陽気になれば一転して病気は治るはずだと気づいた。せめて残る間だけでも心を養い、天恩のありがたさに心を向けると、不思議とその時を境に病は軽くなった」としている。
宗忠は、人間の心は「天照大神の分心」であって「心はすなわち天照大神なり」、「人は天照大神と一体のもの」と述べ、天照大神の分心であるから傷めないよう大切にしなくてはならないと述べている。また、腹を立てれば心が痛み、その心は天照大神の御心なので畏れ多いことだとも述べている。
天照大神と一体の心を痛めることがけがれであり、「けがれは気枯れである。腹を立て、物事を苦にすることが穢れである」と述べている。また、陽気が緩み陰気が強くなることが穢れであり、そこから様々な問題が生じるとする。
穢れにならず陽気に過ごすには、何事も「有難い」として日々を送ればすべてが有難いとなり、心を痛めず、柳が風に流れるように何事も流すよう述べている。難を難と思わなければ、あとは楽しみばかりであり、心ひとつで楽しみになるとも述べている。このように、天照大神の分心である心を痛めないよう、油断しないことを述べている。
宗忠は天命直授の体験と労咳から回復した後、病人救済などの奇蹟を行いながら、生涯、上記のような霊的な指導を行った。
この1冊
・心とは天照大神の分心であり、人間は天照大神と一体であるというテーマを含め、全体像が読みやすい形でまとめられています。
・このほか、原敬吾著「人物叢書 黒住宗忠」(吉川弘文館)では学術的に全体像がまとめられています。
山蔭 基央
山蔭基央(1925年~201?年)は、大正~現代にかけての神道家。岡山県に生まれた。
昭和19年8月、18歳の時に肺結核を患い、肋膜炎を併発して昏睡状態に陥り臨死体験をした。数日後、知り合いの神職である馬場真次郎氏が病床に訪れ、昨夜の夢枕に神様が現れ、この老骨の生命と引き替えに助けるとの御言葉があった旨を伝えられる。馬場氏に祈りの言葉と裂帛の気合をかけられ、指示されたとおり大祓詞を日々唱えるうちに快方に向かい、10月には外出できるほど急激に回復した。馬場氏は翌年2月に入れ替わるように死去した。
病が癒えた10月末には小豆島を巡拝し、翌年の正月にも巡拝したが、その折、どこからともなく薬師堂の前で待つようにとの声を聞き、待っていると盲目の巡礼者の一団に出会った。そこで馬場氏に教わった九字(手で九つの印を結ぶ祓いの一種)を切って気合をかけたところ盲目が治癒するという体験をした。このとき、神霊の実在を確信したと述べている。
この後、明治天皇の外戚に当たる家系の中山忠徳氏に出会って見込まれ、公卿等の家系に伝承される古神道について行法、哲理などの指導を十年近く受けた。
古神道によれば、人間は一霊四魂の存在であり、奇魂(くしみたま)、幸魂(さちみたま)、和魂(にぎみたま)、荒魂(あらみたま)の四種の魂と、核となる直日霊(なおひのみたま)の一霊から成っているとする。
直日霊は、宇宙創造の神に当たる大元霊の分霊であってこの神の霊光が宿っており、汚れることはなく、多いなる知恵を持つものだとする。しかしながら、日常の出来事に煩わされて心身が鎮まることがない状態では、内にある直日霊の声を聞くことはできず、そのために禊ぎや鎮魂の作法など神道の修行があると述べている。
また、人が知らずに汚れた行為を行った場合、霊魂に傷がつくものではないが、汚れは実体化した物のように付着するので、禊ぎや祓いによって霊的に洗い流す必要があり、神道とはその浄めの作法でもあると述べている。
鎮魂の作法は神道に伝わる心を鎮める作法であり、日常の雑踏、相対的な矛盾の世界に生きている中で瞑想をして心を鎮めることが鎮魂であり、それによって直日霊の声を静聴することができ、直日霊が大きく輝くのだと述べている。
また、神道を通じて仁愛を行い、清浄な人格を陶冶することが必要であると述べている。
この1冊
・神の分霊である直日霊が宿るとする一霊四魂の哲理を含め、古神道の人間観などがわかりやすくまとめられています。
・禊祓詞、大祓詞も収録されており、汚れた気を祓う上で、お唱えしてみるのもよいかと思います。
中村 天風
中村天風(1876年~1968年)は、明治~昭和にかけての人物で、心身統一法と言われる方法の提唱者。現在の東京都王子に生まれた。
日露戦争前夜に、中国の旧満州において陸軍参謀本部の軍事探偵として活躍した豪胆な気風の人物で、相当に過酷な生活を乗り越えたとされている。
しかし日露戦争後の明治39年(1906年)、喀血し、悪性の奔馬性結核を発病する。当時は死病と言われ、牧師や僧侶の話を聞いたが心を打つものがなく、明治42年(1909年)、病床で読んだ本の著者を訪ねるため、病身のまま船で渡米した。
しかし自身の納得がいく答えは得られず、その後も著名な哲学者などを訪ねるなどしたが成果はなく、さらに欧州に渡ったが、やはり同様に納得のいく答えは得られなかったと述べている。
明治44年(1911年)、病身のまま失意のうちに船で日本に帰る途中、偶々アクシデントでスエズ運河を通過できず、アレクサンドリアに寄港した。そこでヨガの聖者カリアッパ氏に出会い、右胸に疾患があることを見抜いて自分に付いてくるよう言ったので、招きに応じてそのままインドに渡り、ヒマラヤのカンチェンジュンガの麓の村で2年半ほど修行した。修行を通じて悟るところがあり、結核は全快することになった。
天風によれば、インドの山中で独り静かに座っていたとき、次のような気付きがあったと述べている。
自分の周囲には、全ての存在の元となる、霊妙で全智全能の働きを持つ気が存在し、その気に包まれているから自分は生きていることを知ったとする。天風は、神仏とも呼べるその存在を、便宜上、宇宙霊と呼称することにしたとする。
そして気を受け入れる分量は心の態度によって違ってくるもので、心が積極的な状態であれば分量が多く、消極的であれば受け入れが阻害されると述べている。実際、心が消極的であったアメリカでは、飽食であっても病状は改善しなかったが、心が積極的になったインド山中では、食べ物すら十分になくとも病状は改善したとする。人間の心とは、宇宙霊と自分を結合させる回路であり、宇宙霊は人間の心を現実の形にしようと待ち構えているので、心の中には積極的な内容を描くよう努めなくてはならないとする。この真理を知って宇宙霊と共同作業すれば、生きがいのある人生を創ることができるとも述べている。
積極的な心とは、自らの病や運命と言った境遇に拘わらず、清く、尊く、強く、正しい状態にあるもので、自らの本能的な欲望、感情や感覚に心が囚われているのが消極的な状態である。心が日常生活の感覚の世界ばかりにならないよう静かにしなくてはならないと述べている。そして、苦難や苦痛はそのまま自分の心とせず、心によって喜びと感謝に振り替えることができると述べ、潜在意識を活用する方法など、自ら体得した心身統一法を提示している。
インドから帰国した後、銀行の頭取などを務めていたが、大正8年(1919年)40歳を過ぎてから引退し、自ら体得した心身統一法を広める活動に入り、政財界などの多くの著名人に影響を与えた。
この1冊
・本書は天風哲学の全体がわかりやすくまとめられています。
・インドでの目覚めのお話しや、潜在意識の暗示法など心を積極的にする方法も解説されています。その温かくも迫力のある語り口は、読んでいてチカラが湧いてきます。
サティア・サイババ
サティア・サイババ(1926年~2011年)は、南インドのアーンドラ・プラデーシュ州プッタパルティに生まれた霊的指導者。
1940年5月、14歳の時に自分は人々の悩み、苦しみを取り払うために降臨した神のアヴァター(化身)であると宣言し、聖なる父という意味のサイババを名乗り、同年10月には家を出て病を治すなどの数々の奇蹟を行い、インド全土に知られるようになった。
サイババは、人間には神聖、純粋で無限であるアートマ(真我)があると述べている。すべての物質的存在は流れる雲のように変化を受けるが、アートマは常に純粋で尊く、不変であるとする。このアートマへの信仰を保持することが大切であり、身体は一時的で儚いが、本来の私達は永遠不変の神であるとも述べている。
またアートマとは時間、空間を超えたものであり、人間の実在はサッティアム、シヴァム、スンダラム(真・善・美)であると述べている。人間は、この自らの実在(サット)への自覚(チット)が、至福(アーナンダ)をもたらすと述べている。
身体そのものを自分の実在と考えるのは根本的な間違いであり、身体を元にした親子、友人といった人間関係や、車や家などを自分のものとする所有感などは、流れる雲のように儚いもので、マーヤー(幻妄)によって引き起こされると述べている。自分の実体を忘れ、実在でないものを実在であると取り違えることによって、自分で様々に問題を作っているのであり、一時的なものと永遠のものを識別することが大切であると述べている。
ただし、これは世間的な義務の放棄を勧めるものではなく、身体も一時的な存在であってもアートマが祭られる神殿であるので、正しく維持すべきと述べている。そして身体は善い思い、善い言葉、善い行為など正しく用いることで利益を得ることができ、自分の神性を実現できると述べている。
感覚器官による支配を止める方法としても、すべての経験の主体はアートマであり、私は、身体でも感覚器官でもなく、常に至福に満ちたアートマなのだという確信のなかに揺らぐことなく自分自身を据えることで、感覚器官が私達を悩ますことはなくなると述べている。自分がアートマ以外の何ものでもないと熟考することで、あらゆる環境において自分の神我を体験することができると述べている。
人生上のあらゆる問題とは、感覚そのものよりも、感覚からのあらゆる種類の間違った想像が原因となっていると述べている。自分にとって害がある想像や根拠のない恐怖を捨てるべきであり、全宇宙は心の投影で、心をどのように使うかが大切であると述べている。
サイババは、生涯を通じて南インドを本拠として霊的指導の活動をし、病院や学校を設立するなどの活動も行った。インドの大統領、首相、各州の要人などが表敬訪問し、葬儀はインドの国葬として執り行われた。
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