「自分」や「人間」に対する意識の変化がもたらした影響
病気を経験することで価値観が変わることがあると言われますが、私がこの病気を克服する前と後で大きく変わったことの一つに、「自分」や「人間」に対する意識があります。これらに対する意識は、潜在的に病気のあり方にも影響を及ぼしていたと感じています。
今回は、これらの変化がどのようなものであり、病気の克服にどのような影響があったのか、以下お話しさせていただきます。
「自分」に対する意識の変化
病気になる以前より、周囲の他人の視線を意識しやすく、他人が近くにいるだけで緊張する傾向がありました。たとえば偶々近くにいた見知らぬ人に対しても、この人には自分がどのように見えているのだろうか、ネガティブに見られていないだろうか、ということを気にしてしまうのです。
この「他人に対する意識」は、病気を発症してからより強くなり、それは傍目にも明らかだったようで、そこまで他人の視線を気にする必要があるのかと言われたこともありました。
このような状態では心が休まることもなく、常にどこか緊張している状態が続き、場合によっては息苦しさを感じることもありました。そして病気を克服したとき、病気になる以前よりあったこれらの傾向、心や体の緊張はすべて無くなりました。
要因して考えられるのは、本サイトの他の記事で紹介していますが、気功の体験や呼吸法の修得によってリラックスすることを体で覚えたこともあります。そして、このほかに今回お話しする「自分」に対する意識が挙げられます。
「自分」に対する意識とは、言い換えれば「自分」を認識する基準や方法であり、病気を克服する前後で大きく変わっているのです。
ではなぜ、従前の自分は心や体を緊張させるほど他人の視線を意識したり、どのように見られているか気にせざるを得なかったのか、振りかえって次のような事情があったのではないかと考えています。
上記の状態に陥っていた当時、「自分」という存在を‘‘相対的な基準‘‘でのみ認識していました。相対的とは自分と他人との関係性のことであり、他人との関係によって「自分」がどのような存在であるか認識し、さらに広く言えば、世間との関係によって「自分」がどのような存在か認識しているということです。
この相対的に「自分」を認識することは社会生活を送るうえで必要なものであって、病気を克服して「自分」に対する意識が大きく変わったことによって、この認識が無くなってしまったというわけではありません。
一方で心への影響という点では、「自分」という存在を相対的に認識することは、「自分」という存在を判断する基準が他人との関係にあって、他人や世間からの認識は変化するので、当然、「自分」という存在が変化にさらされた状態になります。そして「自分」という存在が変化にさらされれば、心の振幅も大きくなります。
先ほどお話しした他人の視線を意識していたことは、「自分」という存在を(場合によっては否定的に)変化させるものとして、気にしていたように思います。しかし「自分」という存在に対する恒常的な基準があれば、心も当然、安定することになります。
例えるならば、水面に浮かぶ浮草(相対的な自己認識)は、水面に波紋があれば影響を受けてどこまでも流されてしまう恐れがあります。しかし、湖底にしっかり根を張った水草ならば、水面の影響は限定的であり流されてしまうことはありません。
メイン記事「うつ病、パニック障害で揺らがない心にする方法」では、影響を受けることなく、揺らぐことのない「自分」という存在の「本質」を認識し、相対的な自己認識とは流動的に変化する「現象」の一種と自覚する方法を紹介しています。この方法は病気を克服する過程で得たものですが、「自分」に対する意識は大きく変わることにつながりました。
心や体を緊張させるほど周囲の視線を気にしたり、他人が近くにいれば緊張して心が不安定になることが、病気の克服と同時にすべて無くなったことは、振り返って上記のような事情があったのではないかと考えています。
「人間」に対する意識の変化
果たして「自分」をどのような存在と認識しているか、それが心に及ぼす影響というのは理解しやすいと思います。次により広く「人間」とした場合、その認識は心に影響しているのでしょうか。私の体験では、この点も大きく影響を及ぼしていたように思います。
周囲で関わる人達は当然ですが「人間」なので、認識の仕方によっては人間不信や周囲の人達への緊張感をもたらすなどの影響を及ぼしてきます。さらに広く「人間」で構成される世間や社会に対する認識にも少なからず影響を与えるものです。
また、「自分」も当然ですが「人間」です。「人間」をどのような存在として認識しているかは、「自分」という存在に対する認識の潜在的な前提となって、心にも影響を及ぼしていたように思います。
周囲の人達や社会に対する認識への影響はわかりやすいと思いますが、ここで特に取り上げたいのは、この「自分」に対する認識への影響であり、自覚されずに心へ大きく影響していたのではないかと感じています。
「人間」をどのように認識しているか、いわゆる人間観には様々なものがあります。「人間」という存在は、例えば文芸などの芸術作品でも様々に描かれており、学術的な見解がもたらす人間観などもあります。さらにはこれらの影響の下、世間一般に流布される人間観もあります。
文芸などの芸術作品でよく目にする「人間」の描かれ方としては、脆く弱い存在、相反したものを併せ持つ矛盾した存在といったようなものです。そしてこれらを乗り越えようと挑戦する姿であったり、あるいはこれらを人間的なものとして、そのまま認めていく態度を描くものもあります。いずれにしてもこれらの性質を前提としたものが、よく見受けられるのではないでしょうか。
学術的な見解がもたらす人間観としては、例えば、生物学の進化論の知識などから「人間」とは動物的な性質の存在と認識したり、あるいは心理学などから「人間」とは潜在意識というよくわからないものを抱えた存在と認識したりするというものです。
もちろん文芸などの芸術作品は娯楽として楽しむこともあり、後者の学術による知識も否定するつもりは全くありません。
しかし一方で、これらによって暗黙にもたらされる「人間」に対するイメージは、「自分」という存在への認識に大きく影響していたと感じています。病気になる以前からこれらの人間観の影響下にありましたが、病気だった頃は、自分の状態を省みてより共感するようになりました。
それは共感を通り越し、没入という方が適切かもしれません。自分の苦しい状態は、脆く、弱く、相反や矛盾し、よくわからない潜在意識を持っている「人間」本来の性質に由来しているのだ、と見做してしまうというものです。病気の現状はこれら「人間」本来の性質によるものだと認識し、それがために抜けられなくなっていたように思います。(自分が本来そうだと思うところから抜けることはできません。)
メイン記事「うつ病、パニック障害で揺らがない心にする方法」では、これらの人間観とは異なった「自分」という存在の「本質」を認識する方法を紹介していますが、この囚われから大きく抜け出すことにつながりました。そしてこの「本質」は、人間という存在にも当てはまり、人間観が大きく変わったということがあります。
「自分」という存在の「本質」を認識する方法によって、脆さや弱さ、相反や矛盾、何かよくわからないものを抱えているというこれまでの「人間」に対するイメージに囚われなくなったことが、病気の完全な克服にもつながったと考えています。
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「自分」や「人間」に対する意識の変化が病気の克服にどのようにつながったのか、思うところをお話ししてきましたが、いかがだったでしょうか。
これらは病気を克服する前後で大きく変わったと自覚していますが、ご覧の方の中には、なぜ特にこれらを取り上げたのか疑問に思われる方もおられるかもしれません。
大きく変わったと自覚できるという事実は、やはり病気だったときにこれらの沼に足を取られていたことの裏返しなのではないかと感じています。このため特に取り上げて、お話ししてみたという次第です。
メイン記事「うつ病、パニック障害で揺らがない心にする方法」を紹介する形となりましたが、管理人が思うところのお話しは以上になります。ご覧になった方にとって参考となる部分があれば幸いです。