気功と神道における気の体感の違いについて
丹田に気を入れるには|体から悪い気を出すには の記事で、体に気を入れる方法として気功の丹田呼吸、体から悪い気を出す方法として神道の禊を紹介しました。
ところで、両者で一括りに「気」という言葉を使っていますが、そこに違いはないのか?
そこで、管理人が感じた両者の「気」の違いと、そこから感じる「効果」の違いについて、簡単にお話ししたいと思います。
(あくまで管理人個人の体感ですが。)
気功で感じる「気」は、神道と比較すれば、重く、温かい感じを受けます。
気功の方法の印象は、動作や呼吸によって、「気」を体全体に押し流して詰まりや淀みをとっていくという感じを受けます。
卑近な言い方をすれば、水道管が詰まったときに、業者が高圧ジェットを流して詰まりを取り除きます。同様に、気功は体の気の詰まりを押し流して取り除いていく。そんなイメージです。
気功の動作は、ゆったりとして穏やかですが、しかしそこに流れる「気」のエネルギーは重く、なかなか力強いという印象です。
神道から受ける「気」は、涼しく透明感があり、微細な感じを受けます。温かさはあまり感じません。
やはり人が発している「気」とは異なる感じです。
「神気」という言い方をしたりしますね。
神道は浄めの作法だと言われますが、禊も含め、神道の作法は、体の重く淀んだ悪い「気」(邪気)を出していく。そして、体の中を清浄な「気」にしていくという感じを受けます。
コップの中の濁った水を清流の水に入れ替えていく。そんなイメージです。
両者の違いを音に例えれば、気功の「気」は力強い低音、神道の「気」は澄明な高音という感じです。(逆にわかりにくかったらすみません。)
以上が、管理人の個人的な体感によるものですが、気功と神道の「気」の感じ方の違いです。
なお、どちらが良い悪いというものではありません。
このサイトでは、「気功」と「神道の禊ぎ」といったように、系統が異なる方法を紹介していますので、一貫性がなく、まとまりがないと感じた方もいらっしゃるかもしれません。
気功と神道など系統の異なる方法では、気の性質を含め、体感に大きな違いがあります。
管理人は気功→神道の行道という順で体験しました。
気功では体をリラックスさせて、強張りを取るという点で得るものがありました。
そして心も落ち着きました。
神道の行道では、体のだるく重い気、モヤモヤしたものを取るという点で得るものがありました。
心も軽くクリアになる。
人によって、症状によって、どちらが心地良いと感じるか変わってくると思います。
また、管理人の体験からすれば、一方の方法でなかなか改善しなかった症状が、別の方法で改善するということもあります。
そのため、いろいろな方法を紹介しています。
皆さんも行う場合には、自分の心や体で効果を確認しながら選んでいただくのがよいのではないでしょうか。