うつ病、パニック障害を克服するきっかけとなったエピソード
「うつ病、パニック障害を克服する何かきっかけとなったことはあるのか?」
このように思われる方もおられるかもしれません。管理人の場合、何かの出来事があって、ある日忽然と病気が無くなったというものではありません。しかし、克服した後から振り返って、転機となった出来事と思われるものはあります。
そのエピソードを、以下にお話ししてみたいと思います。なお、メイン記事「うつ病、パニック障害で揺らがない心にする方法」(→記事)でもこの内容に少し触れました。
うつ病、パニック障害だったとき、ボランティア活動に参加したことがありました。小一時間ほど路上生活者にお弁当を配布する活動に、一度参加したというものです。
ボランティアに参加したのは気が向いたから、ということもあるのですが、以下のような思いがありました。
病気で不安の症状もあるからか、自分の状況に非常な不安を抱えていました。
「自分の心と体はどうなってしまうのだろうか」、「自分は元の状態に戻ることができるのだろうか」、「自分は将来、生きていけるのだろうか」、「自分は社会生活に復帰できるのだろうか」などです。
あるとき、このように考え方が「自分は……」「自分の……」といった自分中心となっていることに気がつきました。
人は誰しも自分が中心という部分はあると思いますが、その度合いが強くなって、この「自分は……」の世界で頭が埋め尽くされていると思ったのです。そして、このことが自分を中心とした重力のように、状態を非常に重くしているのではないか。
当時の管理人の状態は、確かに心も体も「主観的に超重量級」でした。
心は霞がかかったように暗く、ずしりと重い。体もだるく重い。昼間でも布団の上で横になっていることが多いという状態でした。
また、心が否定的な想念、感情で占められている、そのような自分の心の状態から、人の心というのは混沌として、何が湧いてくるかわからないものだと見做していました。そして、このような心を持つ人間という存在に対しても、どこか否定的な感情を持っていました。
これらのような状態で、ボランティア活動に参加しました。
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ボランティア活動を終えて、自分の心と体の体感の変化に気がつきました。それは活動から帰る途中の電車でのことです。
自分の心と体が、非常に軽い。そして心に否定的な暗さがなく、清々しい。
この体感の変化を受けて、次のように思いました。
これまで自分が心に対して持っていたイメージというのは本当なのだろうか?
根本的にずれているのではないか?
ボランティア活動は、他者のために行為をする、いわゆる「善行」にあたるものだと思います。そのいわゆる「善行」を行ったときの心と体の体感の変化を感じてみて、さらに次のように思いました。
人の心の性質というのは、根本的には「善」なのではないか。
体感の変化を踏まえて直感的にそのように感じました。そうでなければ、これまで取れなかった心と体の重さが、これほど軽くなることはない。説明がつかないと思ったのです。
人によっては、悪いことをして快感を感じることもあると反論される方もあるかもしれません。しかしそのときの快感は、心に何らわだかまりを感じないものなのでしょうか。
上記の活動で得た体感には、そのようなものが一切ありません。つまり「純粋」なものだったと感じています。
他者のために行うことは良いと説く思想、宗教は多くあり、管理人も書籍で読んだことはありました。頭で理解し、それによって意識の変化もありましたが、上記の体感の変化で得たインパクトというのは、非常に大きなものでした。
この体験を機に症状が一気に全快した、ということではなかったのですが、この体験が根本的な克服に向かう転機となった。ずっと暗い底のほうを泳いでいたものが、明るい水面のほうに向かうきっかけとなった。振り返ってそのように思います。
このような体験を経て病気を克服し、その後、症状はまったく残らずに20年以上、過ごしてきています。再発や揺り戻しもまったくありませんでした。ご興味のある方は、本サイトで紹介している方法を、ぜひ参考にしてみてください。