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2020年10月24日

黒住  宗忠

黒住宗忠(1780 年~ 1850年)は、江戸時代の神道家。現在の岡山県にある神社の禰宜(ねぎ、神職の一つ)の家に生まれた。

孝行者だったが、文化9年(1812年)に両親を相次いで流行病で亡くし、その悲しみもあって翌年に自身も労咳(ろうがい、肺結核)にかかった。3年越しの病でその後も改善せず、死を待つ状態だったが、文化11年(1814年)の冬至の朝に、最期と覚悟して外に出て宗忠は、朝の太陽を浴びる中で「天照大神と一体となる」という、「天命直授(てんめいじきじゅ)」と呼ばれる神秘体験をした。

宗忠はそのときの体験を「太陽の陽気が身体全体に満ち渡って、胸や肺に照り徹るような気がした。身に迫ってくる温かな玉のようなものを胸におさめて飲み込んだと思うと、さわやかなよい気持ちになった」と述べている。そしてこの体験を機に死病と言われた労咳は全快した。

この天命直授の体験に先立つ出来事として、宗忠は「自分は父母の死を悲しみ陰気になったから大病となった。そして、心が陽気になれば一転して病気は治るはずだと気づいた。せめて残る間だけでも心を養い、天恩のありがたさに心を向けると、不思議とその時を境に病は軽くなった」と述べている。

宗忠は、人間の心は「天照大神の分心」であって、「心はすなわち天照大神なり」、「人は天照大神と一体のもの」と述べている。この心こそは、天照大神の分心であるから傷めないよう、一層大切にしなくてはならない。例えば腹を立てることは心が痛むが、その心は天照大神の御心なので畏れ多いことだと述べている。

この天照大神と一体の心を痛めることがけがれであり、「けがれは気枯れである。腹を立て、物事を苦にすることが穢れである」と述べている。また、陽気が緩んで陰気が強くなるときが穢れであり、そこからさまざまな問題が生じるものだと述べている。

穢れにならず陽気に過ごすには、何事も「有難い」として日々を送れば、すべてが有難いとなること、また、少しも心を痛めず、柳が風に流れるように何事も流すことだと述べている。難を難と思わなければ、あとは楽しみばかりであり、心ひとつで楽しみになるものだと述べている。

そして、何よりも「天照大神の分心」である心を痛めないということに油断をしないよう述べている。

宗忠は、「天命直授」の後、病人などの救済の奇蹟などを行いながら、生涯、上記の趣旨のような霊的な指導をしていった。

山蔭 基央

山蔭基央(1925年~201?年)は、大正から現代にかけての神道家。大正14年(1925年)、岡山県に生まれた。

戦時中の昭和19年8月、18歳の時に肺結核を患い、肋膜炎を併発して昏睡状態に陥り臨死体験をした。その数日後、知り合いの神職である馬場真次郎氏が病床に来訪し、昨夜の夢枕に神様が現れ、自らの老骨の生命と引き替えに助けてくださるとのお言葉があったと伝えられる。そして、息のはずむ体を病床に起こすと、氏に祈りの言葉に続き裂帛の気合をかけられ、以後、指示された大祓詞を日々唱えるうちに快方に向かい、10月には外出できるまで急激に回復した。氏は翌年2月に入れ替わるように死去した。

氏の指示により、病が癒えたばかりの10月末には小豆島巡拝を行い、以後たびたび同地を巡拝した。翌年正月の巡拝の折、薬師堂の前で待つようにとの声をどこからともなく聞き、待っていると盲目の巡礼者の一団に出会った。そこで老翁に教わったばかりの九字(手で九つの印を結ぶ祓いの一種)を切って気合をかけたところ治癒するという体験をした。そのとき神霊の実在を確信したと述べている。

同年暮れに公卿等のわずかな家系により伝承される古神道を継承する中山忠徳氏に出会って見込まれ、同家が継承する行法、哲理などの指導を十年近く受けた

この古神道によれば、神道の人間観として、人間は「一霊四魂」の存在であり、「奇魂(くしみたま)」、「幸魂(さちみたま)」、「和魂(にぎみたま)」、「荒魂(あらみたま)」の四種の魂と、その核となる「直日霊(なおひのみたま)」の一霊から成っている

この直日霊は、宇宙創造の神である「大元霊」の分霊であり、神の霊光が宿っている。そして汚れることはなく、多いなる知恵を持つものだと述べている。

本来は超越的存在であり厳然として汚れることもないが、しかしながら、日常の出来事に煩わされて心身が鎮まることがない状態では、内にあるこの直日霊が姿を現すこともなく、その声を聞くこともできないと述べている。また、そのために「禊ぎ」や「鎮魂の作法」など神道の修行があると述べている。

人間の内奥にある神の分霊である霊魂は、人が自分でも知らずに汚れた行為を行っても、霊魂そのものに傷がつくものではない。しかし、そうした汚れは半ば実体化した物のように付着するため、「禊ぎ」や「祓い」によって霊的に洗い流す必要がある。神道はそうした「浄め」の作法であると述べている。

「鎮魂の作法」については、神道に伝わる心を鎮める作法である。直日霊は本来超越的存在で純粋なものだが、日常の雑踏、相対的な矛盾の世界に生きている自我はその声を聞くことができない。そのために瞑想をして心を鎮めることが鎮魂であり、それによって直日霊の声を静聴することができ、また、人の内奥にある直日霊が大きく輝き、本源たる神に感応することができるのだと述べている。

そして、神道の修行を通じて仁愛を行い、清浄な人格を陶冶することが必要であると述べている。

中村 天風

中村天風(1876年~1968年)は、明治から昭和にかけて活躍した心身統一法と呼ばれる方法の提唱者。明治9年現在の東京都王子に生まれた。

豪胆な人物であり、日露戦争前夜の明治36年(1903年)に、中国の旧満州で陸軍参謀本部の軍事探偵として活躍した。その間、相当に過酷な生活を乗り越えた。

日露戦争後の明治39年(1906年)、喀血し悪性の奔馬性結核を発病する。当時は死病と言われ、救いを求めて牧師や僧侶の話を聞いたが心を打つものがなく、病床で読んだ本を契機として、明治42年(1909年)、病身のまま船で著者を訪ねて渡米した。

しかし納得のいく答えは得られず、著名な哲学者等を訪ねたりしたが成果がなく、さらに欧州に渡って著名な哲学者に会うなどしたが、やはり納得のいく答えは得られなかったと述べている。

明治44年(1911年)、失意の中で船で日本に帰る途中、スエズ運河をイタリアの砲艦が故障で動けないため通過できず、たまたまナイル川河口のアレクサンドリアに寄港をした。そして、そこでヨガの聖者カリアッパ師に出会った。師は衰弱した天風の右胸に疾患があることを見抜き、自分に付いてくるよう言った。そして、天風は招きに応じて病身のままインドに渡り、ヒマラヤのカンチェンジュンガの麓の村で2年半修行をした。天風はこの修行を通じて悟るところがあり、やがて結核は全快した

天風は、インドの山中で独り静かに座っていると、次のような気付きがあったと述べている。

自分の周囲には、全ての存在の元となる、霊妙で全智全能の働きを持つ気が存在している。そして、その気に包まれているから自分は生きている。天風は神仏と呼んでもよいその存在を、便宜上宇宙霊と呼んでおり、その存在は本質的に真善美であると述べている。

また、この気は、心の態度で受け入れる分量が非常に違ってくる心が積極的な状態であれば受け入れる分量が多く、消極的であれば阻害される。実際、天風はアメリカで心が消極的であったとき改善せず、食べ物すら十分にないインド山中でも心が積極的になると改善したと述べている。そして、人間の心は、一切の作り主である宇宙霊と自分を結合させる回路であり、宇宙霊は人間の心を現実の形にしようと待ち構えている。このため、心の中には積極的な内容を描くよう努めなくてはならない。この真理を知って宇宙霊と共同作業すれば生きがいのある人生を活きることができると述べている。

積極的な心というのは、自らの病や運命と言った境遇に拘わらず、清く、尊く、強く、正しい状態にあるもので、自らの本能的な欲望、感情や感覚に心が囚われているのが消極的な状態である。心が日常生活の感覚の世界ばかりにならないよう静かにしなくてはならないと述べている。

そして、苦難や苦痛はそのまま自分の心のものとせず、心によって喜びと感謝に振り替えることができるもので、その具体的な方法として潜在意識を活用する方法などがあると述べている。さらにそれら具体的な方法として心身統一法を提示している。

天風はインドから帰国後、実業界で銀行の頭取などを務めていたが、大正8年(1919年)、40歳を過ぎてから自ら体得した心身統一法を広める活動に入り、その影響は、政財界等の多くの著名人に影響を与えた。

サティア・サイババ

サティア・サイババ(1926年~2011年)は、南インドのアーンドラ・プラデーシュ州プッタパルティの生まれ。ヒンズー教の聖者と言われる。

1940年5月、14歳の時に自分は人々の悩み、苦しみを取り払うために降臨した神のアヴァター(化身)であると宣言し、「聖なる父」という意味のサイババを名乗った。同年10月には家を出て、病を治すなど数々の奇蹟を行い、インド全土にその名が知られるようになった。

サイババは、人間には神聖、純粋で無限である真我(アートマ)があると述べている。すべての物質的な存在は、流れる雲のように変化を受けるが、アートマは身体の肉体的成長や頽廃の支配を受けず、それは常に純粋で、尊く、不変のものである。このアートマの信仰を固く保持することが大切であると述べている。そして、身体は一時的ではかないものだが、本来の私達は永遠不変の神であると述べている。

また、サイババはアートマについて、時間と空間を超えたものであり、人間の実在はサッティアム、シヴァム、スンダラム(真・善・美)であると述べている。人間は、自らの実在(サット)への自覚(チット)が、至福(アーナンダ)をもたらすと述べている。

そして、身体を自分自身だと考えるのは根本的に間違いであり、身体による親子、兄弟、友人といった人間関係や、車や家といった身体に属するそれらのものを自分のものであるとする所有感は、すべて流れる雲のように儚いものであり、マーヤー(幻妄)によって引き起こされるものであると述べている。

自分の実体を忘れ、実在でないものを実在であると取り違えることによって、自分でいろいろ問題を作っているのであり、自分の身体を本当の自分とみなすのは、無知によるものと述べている。このように、一時的なものと永遠のものを識別することが大切であると述べている。

ただし、これは世間的な義務を放棄することを勧めているのではない。自分の世間的な義務を履行しながら、実在はアートマとしての神だけであり、この内なる至高者を見失ってはならないと述べている。

なお、身体は一時的なものだが、それは聖なるアートマが祭られる神殿であり、正しく維持するため注意を払うべきであるとも述べている。そして、身体は善い思いを抱き、善い言葉を話し、善い行為をするために用い、自分の神性を実現すべきであり、正しく用いる方法を知るとき、そこから利益を得ることができると述べている。

感覚器官の支配力を止めるには、すべての場合において本当に経験する主体はアートマであり、「私は身体でもなければ感覚器官でもない。私は常に至福に満ちたアートマなのだ」という固い信念を育て、この確信のなかに揺らぐことなく自分自身を据えたときに初めて、感覚器官が私達を悩ますことはなくなると述べている。自分がアートマ以外の何ものでもないという考えを絶えず熟考することによってのみ、あらゆる環境において自分の「神我」を体験することができると述べている。

また、人生上のあらゆる問題は、心が弱いために生ずるもので、自分の感覚が原因ではなく、感覚からのあらゆる種類の間違った想像が原因となっていると述べている。人間は、自分にとって害がある想像や根拠のない恐怖を捨ててしまうべきであると述べている。全宇宙は心の投影にしかすぎないものであり、心をどのように使うかが大切であると述べている。

サイババは、その生涯を通じて南インドを本拠として活動し、病院、学校を設立するなどの活動を行った。インドの大統領、首相、各州の要人などが、毎年サイババを表敬訪問したとされており、その葬儀は国葬として執り行われている。

Posted by utukokufuku