うつ病、パニック障害を克服した体験談(1)

2020年9月16日

このサイトは、私こと管理人が、うつ病、パニック障害を克服する際に体験したさまざまな方法を紹介しています。当然ですが、ここで紹介している方法は、管理人自身が実際に体験し、効果を体感したものです。

以下、サイトの構成です。
ポイントとなる部分を「トピック」として青いボックスで示しており、その部分を見れば、一目で方法がわかるようにしています。

▸ 「トピック」の内容に関する「管理人の補足」を、水色のボックスで紹介しています。管理人が自らの体験で気づいた点などです。実際に行うとき参考にしてください。

▸ その方法を利用することで改善したと感じる症状を、灰色の枠で示し、記載しています。管理人の個人的な体感ですが、具体的なイメージが湧きやすいと思い記載しています。

ご覧いただく際には参考にしていただければと思います。

はじめに

目次をご覧になって驚かれた方もいるかもしれません。

方法として挙げられているものが、よくある心理学、脳内物質といったアプローチではなく、一般にうつ病、パニック障害と関連づけて語られることのないものだからと思います。中には誤解を招きそうなタイトルのものもあります。

しかし、そうした方法も、あえて取り上げています。
それは、管理人自身が、これらの方法を通じて、うつ病、パニック障害を克服したと自信をもって言えるからです。

そして、紹介している方法は数年かけて知り得たものですが、これらの方法を最初から知っていれば、うつ病、パニック障害の苦しみをもっと短い期間で抜けられたかもしれない、あるいは苦しみを軽減できたかもしれない、と思うからです。もしこれらの方法を知らなければ、克服するのにもっと長い期間かかっていたか、克服できてなかったかもしれません。

また、紹介する方法は、特定の分野のものを系統的に、というよりも、いろいろな分野のもので、取り掛かりやすく効果があるものを取り上げる方式にしています。管理人自身、それぞれの分野を体験していったというのもありますが、分野によって、体感上の違いというものがあり、人によって好みが分かれると思ったからです。

どの方法が有効かは個人差もあるかと思いますので、いろいろな分野の方法を、体感して効果があったと感じたものを、紹介していきたいと思います。目次の項目はどれも独立した内容なので、興味を引いた項目からご覧いただいても構いません。

ただ、管理人自身、うつ病、パニック障害を完全に克服して、再発の恐れも感じられないという点では、目次3にある「内なる神」の認識が、一番重要なポイントだと感じています。このため、一番最初に取り上げています。

こういった話について敬遠される方にもできるだけ抵抗感がないよう、うつ病、パニック障害を根本から抜け出し、克服する“方法論”としてお話をするようにしています。さっとでも目を通していただければと思っています。

なお、紹介している方法に抵抗感がある方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、どれか1つでも試しに行ってみて、自分の心や体で効果を確認しながら、ご判断いただければと思います。紹介しているほとんどの方法は、無料ですぐにできるものです。

また、体験した方法は、今回紹介したもの以外もあります。今後、記事を更新していくので、参考いただければと思います。

うつ病だったときの状態

私がうつ病、パニック障害のときどういう状態だったのか、以下に列記しておきます。
別に読まなくてもよいと思いますが、ご参考まで。
なお、これらの状態は、現在では完全に抜けています

ボタンを押すと表示されます

うつ病などの状態。摂食障害、過換気症候気味でもあります

  • 心が重く、常に何か不安な状態(不安神経)。
    過去の悪い印象の出来事が、常に心に不安の影を落としている。
  • 体がだるくて起きられない。ベッドに寝ていても体が鉛のように重く感じる。
  • 手足が異常に冷えている。
  • 体全体がこわばって固くなっている。何か緊張した状態。
  • 肩が異常に凝っている。背中の筋に何か引きつるような痛み。
  • 緊張しているような冷汗をかく。
  • 食欲がない。喉に詰まるような違和感があって食物を飲み込めない。酷い時には水も飲み込めない。
  • 常に嘔気がある。みぞおち辺り(胃部)が固くこわばっている。
    症状が強いときは、胸やけの状態。
    → 内科で検査(胃部レントゲンなど)しても、問題なしでした。
  • 時折、ゆらゆらする平衡感覚。
  • 頭が茫としてはっきりしない、あるいは逆に、妙に鋭く冴えるような感覚。
  • 高い所(マンションのベランダや窓、外に開いているマンションの回廊)で、
    自分の意思に反して、体が吸い込まれる恐怖感。死への恐怖。
    同じように、電車のホームでも吸い込まれる恐怖感。死への恐怖。
  • 電車や人混みで呼吸が浅くなる。深呼吸できない。

パニック障害の状態
さすがにこのときは、もうだめかもしれない、と思いました。

  • 電車に乗っていたとき、突如、船が大きく揺れるように平衡感覚を失うとともに、
    視界に映るものがすべてひしゃげるように歪み、以降、
    恐怖で電車に乗れなくなる。
    加えて、家からの外出ができなくなる。

ついでに、その頃の人格傾向は、おおむね以下でした。

  • 論理重視、物質主義の考え方。西洋哲学、近代小説の本をよく読んでいた。
  • 死んだらすべて無くなる、虚無主義(ニヒリズム)的考え方。
  • 人の中にいると緊張しやすい、落ち着かない。
  • 人からどう見られているか気にしやすい。人に合わせようとする。

大学時代にこのような状態になり、通院やカウンセリングの利用も経験しましたが、いろいろな方法を試しました。
そして幸いにも病的な状態を抜けて、無事に大学を卒業し、就職することができました。以下、それらの方法を紹介していきたいと思います。

”方法論”としての「内なる神」

*ポイント「内なる神」は(3)中ほどにあります

このタイトルを見て、何か信仰に関する内容と捉えた方もあるかもしれません。あるいは、こうした話題に抵抗感がある方もおられるかもしれません。そういう方は、うつ病、パニック障害を克服する“方法論”と捉えて読んでいただければと思います

なお、具体的な方法の紹介は、次の項目(気功)からになりますので、場合によってはわかり易いそちらから読んでいただいても構いません。

なぜこの話をするかというと、管理人自身の体験上、うつ病、パニック障害の“完全な克服”という点で言えば、最重要ポイントであるためです。以下、順に説明していきたいと思います。

(1)うつ病、パニック障害のときの人間観、自己定義など

うつ病、パニック障害のとき、管理人は症状のつらさ、社会からの圧迫感、ストレスなどから、以下のような心に対するイメージ、そして人間観を持っていました。

心に対するイメージ
・思い通りにならない、大変なもの
・深層心理には、自分でもわからない感情がある、暗くドロドロしたイメージ

人間観
・悩んだり、もがいたりすることこそ、人間の存在というもの。
・死んだら終わり。存在の意味も感じられない。虚無主義(ニヒリズム)。
(巷では、人間は死があるからこそ、現在を大切に生き生きとすることができる、
という考えもありますが、私はそれに納得ができませんでした。)

悩める人間、などといえば、近代小説などによくある題材ですが、一般の社会でも、こうした人間観を目にすることはよくあります。
また、うつ病の状態だと、とかくこうした人間観を抱きやすいのかもしれません。

さらに、こうした心のイメージ、人間観というのは、自分の心、自分という人間を通して感じたものなので、自分という存在の前提の定義でもあります。

しかし、ここであえて結論から申し上げると、これは克服した後の感想でもありますが、そうした心のイメージ、人間観をもとに自己定義をしていると、うつ病、パニック障害は克服しきれないのではないかと感じます。

例えば、人間とは悩む存在なのだ、という人間観を持っていて、それを前提した自己定義を持っていたとします。悩む人間といえば、悩んでいる状態の感情、悲しみ、怒り、不安といったものが発生します。逆に、そうした感情を持つ悩む人間というのが人間の存在だ、ということを含んでいるかもしれません。

自分の意識では、そうした悲しみ、怒り、不安といった感情が嫌だと思っていても、潜在意識でそうした悩める人間、というのを前提にしていたらどうなるでしょうか。たとえ薬などで一時的に感情を抑えても、同じような感情が、繰り返されてしまうのではないでしょうか。

これを一口で言えば、心のイメージ、人間観、それを前提とする自己定義から抜け出せず、それまでと同じような思考方式、感情が繰り返されてしまうということです。

また、管理人の自己定義は、以下のような相対的な形でしていました。

自己定義の仕方
・他人の評価、社会の評価が言う自分で、「自分とは何者か」を決めている

例えば、仲間内での自分のポジショニング(立ち位置)ですね。それが「自分の存在」だと思っていました。なにも特殊ではなく、このように自己定義をしている方は多いのではないかと感じます。

管理人の場合、うつ病、パニック障害のときは、特にこの傾向が強く出ました。

・人の中にいると緊張する
・他人の視線、自分に対する評価を非常に気にする

もうこうなると対人恐怖の一歩手前ですね。こうした自己定義の在り方の問題点は何か、といえば、①自己定義の基準が自分以外にある、そして②その基準自体が常に変化する、ということです。他人の評価、社会の評価というのは、有形無形の出来事で、ころころと変化します。不安定、不安な状態になるのは当たり前とも言えます。いつも緊張状態になるのも、それが原因かもしれません。

(2)体感を通じた認識の変化

管理人の場合、上記(1)の状態を脱する転機となったのは、うつ病、パニック障害の苦しさから、藁にもすがる思いで始めた気功の実践を発端に、神道の修行をしたり、インドのサイババに会って講話を聴いたりしたことです。唯識学という仏教哲学の研究をしたこともありました。

そうするなかで、先ほどの人間観や自己認証というのは、根本的にずれているのではないか、と感じるようになりました。それは頭で理解した、というよりは体感、体得の部分もあります。

気功をすれば、確かに気を感じる。
古神道の修行で、神社の御神前で祝詞を奏上すれば、御神気を感じる。

それらの体感を通じて、“人間というのは、この肉体、物質のみの存在ではないのではないか”
と感じるようになりました。

また、人間の心についても、例えば、奉仕活動で人のための活動をしたとき、心に爽やかな心地よさを体感することがありました。
それは”もともと心に、善いことに感応する性質があるからじゃないか”、と感じるようになりました。

中には、悪い事をして心地よさを感じる場合もあるじゃないか、と批判する方もあるかもしれません。でもそういう場合、本当に心の底から、何のわだかまりもなく心地よいと感じたのだろうか、それは善い事に感じる爽やかな心地よさと同じものだろうか …
そうでないなら、人の心は、本来は、善なのではないか、と。

それらの体験や研究を通じて、ひとつのテーマに行きつきました。それは、人間の内には神性があり、人間存在の本質はそれである、という認識です。

藪から棒になんだ、と思う方もおられるかもしれません。あるいは、スピリチュアルな世界になじみのある方は、そんなことかと思われたかもしれません。人間の本質が神(あるいは仏)である、というのは、古今東西の哲人、宗教者によって言われてきたことでもあり、特段にめずらしいことではありません。

しかし、うつ病、パニック障害の克服した現在から見ても、この認識こそ、一番重要なものじゃないか、と感じています。この点について、次の(3)で、うつ病、パニック障害の克服にあたってどういう効果が体感されたかという観点から、“方法論”として、述べてみたいと思います。

(3)”方法論”としての「内なる神」

ここではうつ病、パニック障害を克服する“方法論”として、「内なる神」を認識する効果を述べていきます。管理人の場合には、体感を通じた認識の変化によって「内なる神」という認識に達しました。

体感を通じた方が、単なる知識として理解したというより確信的なので、認識のぶれがなくなるという点での利点はありますが、「内なる神」を認識した場合の効果としては、結果として変わりないのではと思っています。

以下が「内なる神」ということのポイントとなります。

ポイント・自分の本質は、神(神性)であることを認識する。
・神性とは:神聖、不変不壊、真善美、清浄、完全、愛、平安、無限の性質
管理人の補足・うつ病、パニック障害の状況は自分の“本質”を見えなくしているだけで、自分の本質は神性なのだという認識を固く持ちます。それによって、船に例えるなら、揺れが各段に小さくなるとともに、神性に碇を下すことで、どういう状況であろうとも、自分という存在がどこかに流されることがなくなります
・神性として挙げているのは、多くの書籍などを通じて述べられているものを列記してい ます。“神”と表現しただけでは、尊い存在、完全な存在であることは連想されますが、“方法論”としてより認識をしやすくするため、記載をしています。
・うつ病、パニック障害の克服という点では、管理人の体験では、「不変不壊」と「清浄」 がポイントでした。自らの「清浄な本質」は、病気になる前から、あるいは今後もずっと決して変化したり、壊れたりしない、という認識です。心や体の不快感に意識が向かいがちになるのですが、まとわりついているだけで自らの本質とは関係がないものと認識して、自らの内にある「清浄な本質」に意識を向けるようにしていました

一つ注意していただきたいのは、「内なる神」という存在が何か観念的に作り出されたもの、あるいは心でイメージされたもの、というわけではないということです。自分の内にもともとあるものを確認した、という方が適切かもしれません。

なかなかそうは思えない、という方には、次のように考えてみることをおススメします。
論理的には神の存在というのは存在するということも、存在しないということも、どちらも証明することができません。いわゆる論理的には不可知、わからないというのが正しいですね。

しかし、科学としては、わからないものに対しては一定の仮定、仮説をもって世界を構築していく、ということをします。それと同様に、“内なる神が存在する”という仮定をもって、世界を構築してみるということです。

そのうえで、うつ病、パニック障害を克服する“方法論”として、それが自らの心、体にどういう効果をもたらしたかを検証してみる、ということです。自分の心や体の声を聴きながら検証してみる、ということですね。それが“方法論”としての内なる神、ということです。

この内なる神という“方法論”の効果ですが、管理人の体験上では、管理人自身、この認識を得てから、心のあり方が変わり、徐々に回復する方向へ向かっていったと感じています。そして、現在では、ごく日常の感情としての悲しみなどは一時的にありますが、いわゆる病的な心の状態、うつ病、パニック障害の症状は、以後、23年間、事実としてまったく顔を出していません

そして、もう1つは、この認識を得てから(1)で述べた自己定義のあり方が、根本的に変わったため、徐々に心が大きく揺らぐことがなくなっていきました

それは、この認識によって、自らの心に対する認識、人間観が根本的に変わっており、また、自己定義のあり方も、他人の評価、社会の評価といった相対的な基準ではなく、“自分の本質は、内なる神性である”という自己定義になったためだと感じています。

この自己定義は、内なる神の認識を持ち続ける限り、変わることはありません。また、この自己定義自体が、神性という最高度の状態をもとにしているため、人間の価値観による自己定義と比べて、絶対的に安定していると言えると思います。また、それを“本質”として認識しつづける限り、心を重い闇に落ち込ませない“浮力”としての効果があると感じています。

最後に、ここまでうつ病、パニック障害を克服する“方法論”として、内なる神を述べてきましたが、その元として、特に影響を受けたものを簡単に紹介します。

古神道
人間には、神の分霊である直日霊(なおひのみたま)があって、決して汚れず神の霊光が宿っている
▸黒住宗忠
人間の心は天照大神の分心であり、天照大神と一体である
サイババ
人間のアートマ(真我)は、不変の神であり、肉体の変化など一切の影響を受けず、常に純粋、神聖である
中村天風
人間の心は、宇宙霊(神仏)とつながっている

言葉上の表現は、時代や文化によってさまざまですが、共通するのは、人間の内には神(あるいは仏)が宿っているということです。

これらの内容に関して、さらにお知りになりたい方がありましたら、おススメの本を別の記事関連書籍の紹介で紹介していますので、そちらをご覧ください。

また、“内なる神”をもとに心を統制する具体的な方法を、体験談(2)で紹介していますので、あわせてご覧いただければと思います。

気功

*中ほどにポイント「丹田呼吸の方法」があります

うつ病、パニック障害の状態になって、通常の治療のほかに最初に体験したのが、この気功でした。

気功にはいろいろ流派がありますが、体験したのは内養功動功という医療気功です。治療院とかで手当をうける形式(外気功)ではなく、自分で動作の型にしたがって、体を動かしながら体中に巡らせていくものです(内気功)。
(2年間くらいして、普及員という資格をもっています。)

うつ病、パニック障害だったときの状態。

肩こりがひどく、手足が非常に冷たい状態。
体全体が冷えて固くこわばっていて、頭だけ何かほてって冴えた感覚。
体に歪みがあり、左肩が上がった状態。
極度の食欲不振。

この状態は、気が体全体に循環しておらず、頭に上がってしまっている「気が上がった状態」と言われています。あるいは体全体が冷えており、気が不足している、エネルギー不足の状態ですね。

気功もそうですが、よく東洋医学では、「頭寒足熱(ずかんそくねつ)」が健康にはよい状態といわれています。文字どおり、頭が涼しい状態で、手足が温かい状態のことです。全く逆の状態で、この場合、気を下げて循環させる必要があります。

自宅で1人でもできる方法として、今回は、気功の基本姿勢である丹田呼吸を紹介します。これを意識するだけでも、随分と違います。気が下がって循環してきますよ。

以下、その方法です。

ポイント・丹田とは:お臍(へそ)の下あたりの下腹部
・体全体の力を抜いて、丹田に意識をおく
 (丹田に意識をおくと、自然と腹式呼吸となります)
・丹田にエネルギー(気)が集まってくるイメージをする
管理人の補足体全体の力を抜くというのは、ストレッチのように肉体をほぐす、筋肉を緩めるということとは違います。腕や肩、体の中がからっぽ、空洞になったイメージをしてみてください。姿勢や形は保っているが、力が抜けている状態です。
・丹田に意識を置いて、エネルギー(気)が丹田に集まっているイメージをすると、自然に ①お腹に軽く力がこもった状態になり、②上体(肩、腕、胸など)の力が抜けた状態になっているのが確認できると思います。

丹田に意識を置いて呼吸をすると、気が下がってきます。丹田にきちんと気のエネルギーが下りていれば、丹田を中心に体を循環するようになるので、手足の冷えや体のこわばりなど、状態は緩和されてきますよ。

管理人がうつ病だったときは、意識が常に上の方(頭、あるいは胸)にあって、考えごとをしたり、悩んだりしていたことが多かったです。そして、緊張した状態で肩、胸の上部で呼吸をしている。どんどん気が上がってくるのも当然ですよね。

頭で考えているから意識が頭にある、気持ちは胸にあるから意識が胸にあるのは当然だ、と思われるかもしれません。しかし、それをあえて下の丹田に置いてみてください。イメージが難しいようであれば、丹田に意識を置いてみるだけでも随分と違います。ぜひ試してみてくださいね。

気功をしてみて、特に管理人が良かったと感じたことは、以下のとおり。

良かったこと▸体がゆったりしてくる。心も穏やかに落ち着いた感じになる。
緊張が軽減されて、肩呼吸をしなくなる。
体が温かくなり、食欲が出てくる。
体を内観する癖がついた。
気の存在を体感することで、人間が単に肉体のみの存在ではないと
 なんとなく感じることができた。

「体を内観する癖がついた」についてすこし補足します。

気功をしていなくとも、自分の体の状態を振り返るということはありますが、その場合、①肉体の状態、あるいは②心の状態、ということだと思います。そこに、③自らの気の状態を見る、という視点が加わるという感じです。そして、だんだん気の視点で見るほうがメインになってきます。

例えば、肩甲骨の内側が痛かったとします。通常の場合、そこの筋肉が痛い、神経が痛いと感じている、と反応します。③気の視点の場合、そこの部分が緊張していて気が通ってないな、という反応ができるようになってくる、ということです。

そして、その部分を緩めて気を通す、ということも自分で感覚的にできるようになってきます。
この視点があると、従来の自分の体の見方、感じ方が随分違ってきますよ。普通に過ごしているつもりでも、意外に体に力が入っていて、緊張しているということがよくわかります。

余談。
私の場合、気功をしていたら鉄のスプーン曲げができるようになりました。曲げるというより、気を通した一点で折れる感じです。それが目的ではないですが、そのときやはり、気という目に見えないエネルギーがあるということを確信しました

心身一如

心身一如。
心と体の両面は一体だ、ということですが、気功をしてみて、それを実感することがありました。
先ほど気功の項目でも書きましたが、私はうつ病のとき、ひどい肩こりであり、手足が本当に冷たい状態でした。体全体が固くこわばっていて、冷えている。逆に頭だけが何か火照った状態でした。

よく「手が冷たい人は、心も冷たい」なんて、ウソかホントかわからない話も聞いたことがありますが、ただ、心が塞がった状態だと、体がこわばって、手足が冷たいということはあると思います。

自分の体感として、心が塞がっていると、気が体に流れていかない。心が塞がって固くなっていると、体もこわばって固くなる。私の場合、胸のあたりに、何か冷たく凝った、詰まりのようなものを感じていました。

それじゃ逆に、体がほぐれると心もほぐれるのだろうか、と。気功をした後は、体全体に気がとおって温かな感覚になるほか、心が落ち着いた感覚、余計な想念がわいてこないような感覚がありました。

実際、私がいた気功教室では、気功が終わった後、泣き出す人をよく見かけました。気功をして体全体に気を通して体がほぐれると、心も何かほぐれてきます。心と体は相互に作用というか、一体のものなのだと思います。

潜在意識の活用

人間には自覚している意識のほかに、潜在意識がありますが、中村天風氏が提唱している潜在意識を暗示作用によって活用する方法体験上、有効なのではないかと感じました。
(中村天風氏の詳細は、関連書籍の紹介をご覧ください。)

やり方としては、複雑なものではありません。
その方法は、以下のとおり。

ポイント・寝る前に、じっと鏡を見て「お前は信念強くなる」と言って布団に入る
・翌日、「私は信念強くなった」と言う

* 「あなた」などの言葉でもよいかと思いますが、天風氏の勢いある言葉をそのままに引用しています。

管理人の補足
潜在意識に入りやすいように、
①鏡を見たときに、眉間に意識をもっていく

②潜在意識を含め、自分のすべてが外に開かれているような感覚でする

何故「信念」なのか?
普段、潜在意識には、疑ったり、恐れたりといった雑念、妄念、消極的な観念がたまっているそれを除くには自分は尊く、強く、正しく、清く生きるのだという人生の自覚すなわち信念を潜在意識に呼び起こす

そうすると、心が積極的になって、神(あるいは仏)のエネルギーが生命に流れ込んでくる、というもの。

これが自分の心なのだろうか?
と思うほど、何が起きても揺らぐことがなくなるそうです。

私はうつ病のとき、常に体がだるく、寝ていてさえも体が重く感じるほどでした。朝も当然、布団からなかなか起きられない。昼間でも布団に横になっていることも多くありました。

この暗示作法を始めて体感したことは、次の日の朝の体の感覚です。朝の起き抜けに、体がだるい、重いということがなくなりました。何か、体が勝手に動いていると言ってもよいくらいです。
そのとき、なるほど暗示の効果というのはあるのだな、と感じました。

ただ、あまり即効的に効果がでることを期待しすぎず、毎日、坦々とするということが、継続のコツなのかなと思います。
寝る前に鏡を見て、一言いうだけなので、ほんの数十秒(もかからない?)ことですよね。

私はいまでも毎日、鏡を見てやっています。
お前は信念強くなる、と。

波動水の活用

*中ほどにポイントがあります

私がうつ病になって最初に体験したのは、気功でした。それと同時に活用したのが、この波動水です。これは自分で行うものではなく、専用の機械で作るものです。気功教室の人の紹介で、波動水の機械を活用した健康食品販売をしている方にあったのがきっかけでした。

私は当初、波動水?? ナニソレ? とかなり半信半疑だったのを覚えています。現在でも正直、その科学的な根拠の真偽のほどは、よくわかりません。ただ、その当時は、うつ病の症状が非常につらかったこともあり、藁にもすがる思いでやってみた、ということです。

ドイツ式とかアメリカ式とかいろいろな機械があるようですが、利用していたのはMMRI(波動磁気共鳴装置)という名前のものです。(中根 滋という波動研究の方の系統のものと聞いています。)

なお、「波動」と言っても、巷のすべてが同じものを指しているのかわかりませんので、管理人が体験したことのある、この機械で作製した場合を前提に話をすすめます。

そのとき説明を受けた内容は、以下のとおり。

ポイント・人間を含め、あらゆるものには波動がある。
・人間の体はほとんど水で構成されており、低くなっている項目の波動情報
 を機械の磁気でインプットした水を飲んで入れ替えていく。
・波動水を飲むと、のどで波動情報がキャッチされる。毎日、こまめに飲んで、
 波動情報がキャッチされるようにする。
・飲み始めると、好転反応として一時的に症状が強く出ることがある。
管理人の補足・管理人の場合、好転反応は、最初2週間ぐらいありました。
・症状が大幅に改善されてきたのは4か月ぐらい経過したときです。

人間の体の細胞や水は、およそ9か月ですべて入れ替わるそうです。波動水の情報の項目にはいろいろありますが、うつ病の場合だと、悲しみ、怒り、ストレス、幸福感、自尊心といった項目が測定で低くなるようです。この場合、これらの項目をインプットした波動水を飲む形になります。

私の場合、半信半疑で始めたのですが、個人的な体感としては、効果があったと思います。肉体的なものより、先ほどの項目のようなメンタルなものに、特に効果があるように感じました。

うつ病のとき飲んだ期間は1年半くらいだったと思います。なにより、化学的には水なので体に無害ですよね。

ちなみに、私はこのMMRIをもっていて、現在もたまに波動水を作って飲んでます。個人的な体感ですが、日常でのストレスなどで心に負担を感じるとき、飲んでないときと比べて、やはり何か負担が軽くなるような感じがします。

ちょっと試してみたい、という方がありましたら、左側にある「波動水のご依頼」からご連絡いただければと思います。管理人が上記の機械で市販ミネラルウォーターに波動をインプットし、お送り致します。

禊(みそ)ぎ

*中ほどにポイント「禊ぎの方法」があります

それでは、禊ぎについてです。

うつ病、パニック障害だった頃、古神道の修行も体験したことがあります。「古神道」というのは、読んで字のとおり古い神道のことで、明治時代に国家神道として近代化する以前の神道を指しています。その中で、自宅でもできる、禊ぎについて紹介したいと思います。

私の場合、うつ病のときの症状で、

・心が重苦しく感じると同時に、胸のあたりにモヤモヤしたものをまとっている感覚。
・背中の筋が引きつる痛み。
・肩甲骨の内側に、重苦しい独特の不快感。
・膝の裏側にも、同じように重苦しくだるい不快感。

がありました。この症状に関して、病院では自律神経失調という診断でした。

神道では、体に付いた罪、穢(けが)れを水に流して清める禊ぎの作法があります。古事記で
伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)が禊ぎをされたときに、
神々が誕生されたエピソードは有名ですよね。

この罪、穢れなのですが、じつは物理的な存在だ、と言ったら驚くでしょうか?
罪、穢れというと、例えば、悪いことをしたときの罪悪感だとか、頭の中の観念的な存在だ、という印象がありませんか。

でも古神道では、それは物理的なエネルギーのようなものであって、時として身体感覚を伴うものだ、としています。そして、それらは水で洗い清めることができる、というものです。衣服に付いた泥を洗い流すのと同じ感覚ですね。

私の場合、古神道の修行をしたときには、すでに気功をしていたため、体のモヤモヤ感が、ひょっとしたら心や肉体のものでなく、体にまとったエネルギーの状態によるものかもしれない、とも感じていました。

それでは、私が体験した古神道の禊ぎの方法です。

白衣を着て、何か山奥の滝に打たれたり、氷水を浴びるといったものではないです。自宅のシャワーで構いません。以下の順序で水を身体にあてて流していき、最後に禊祓詞(みそぎはらえのことば)を奏上します。

ポイント
流す順序は、以下のとおり
1  股間を清浄にする
2  目を流す(左右)
3  口に水を含み、流す
4  顔全体を流す
5  耳を流す(左右)
6  胸、腹の順に流す
7  左肩、左腕、左手を流す
8  左腿、左膝、左足を流す
9  右半身も同じようにする
10 首の付け根あたりから背中を流した状態で、禊祓詞を奏上。最後2拍手。
   → 禊祓詞はこちら(PDFファイル)
管理人の補足・要は、体の上から、顔、胸、腹、左半身、右半身と流していく感じです。
 最後は背中を流しながら禊祓詞を奏上。一語一語はっきり言うように奏上します。
・不快な感覚、痛み、不要な想念が、清らかな水によって下に押し流されていく、という感覚で行います。

不快な感覚、痛み、いらない想念が押し流されていくというのは、例えば、左腕を流しているときに、左腕にある不快な感覚が押し流されて左手から出ていく、という感じです。胸のモヤモヤした感覚、あるいは体のだるい感覚なども下に押し流されて出ていく

先ほど述べたように、そうした感覚を伴う罪、穢れというのは、水で流すことができる物理的なエネルギーだからです。この感覚は、体験してみるとわかるのではと思います。

禊ぎをした後は、体も心もスッキリします。体、心に付いた不要なものが落ちたという感覚ですね。時折、手などに、軽くヒリヒリとした感覚が生じることもあります。なお、体など問題がある場合は、ぬるま湯で行っても効果はあるそうですよ。

以下は、穢れがたまりやすいとされる体の部分です。うつ病、自律神経失調症との関係で参考となるかもしれませんので、記載をしておきますね。

穢れのたまりやすい体の部分:
脇下の窪み、乳部下の窪み、肩甲骨の内側、股の窪み、膝裏の窪みなど
重く感じたり、ヒリヒリと灼けるような感覚を受けるとされています。

禊ぎをするときには、これらの部分も入念にするのがよいと思います。
管理人はこれを聞いたとき、うつ病、自律神経失調に重なる部分があるなあと感じました。肉体的な疾患によるものか、そうでないかの即断はできませんが、思い当たる方は、禊ぎをしてみたらいかがでしょうか。

古神道のお守り

次に古神道のお守りです。
一般には誤解を受けそうな内容でもあるので、紹介するのはどうかなあ、という思いもありました。

もちろんここで紹介しているのは、管理人自身、これで体が非常にラクになった経験があるからです。以下、紹介させていただきます。

私がお世話になった古神道の神社で作製しています。以下のようなものです。

ポイント

・檜の板に貼った朱紙に、願意に関する神官による秘伝の霊符が書かれたもの

・さらに御神前で祈祷いただいて御神気が籠められている

管理人の場合、願意は「心身健全」でお願いをしています。毎年、節分(旧正月)に、神社の御神前で浄炎(仏教の護摩のようなもの)を焚いて清める大祭を行い、そのときに御守りも祈祷されています。

大祭後に御守りが郵送されるのですが、手にとったとき、神社特有のフワンとした温かな神気を感じます。なお、御守りは節分の大祭以外でも年中、作製のお願いをすることができるようです。

古神道の紹介は、関連書籍の記事をご覧いただければと思います。

体験談(1)のまとめ

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

この記事だけでも、「気功」と「神道の禊ぎ」といったように、系統が異なる方法を紹介しているので、まとまりがないと感じた方もいらっしゃるかもしれません。

管理人は数年にわたってこれらの方法を体験してきましたが、先にも述べたように、分野によって体感上の違いというものがあり、人によって好みが分かれると思うからです。また、その症状によって、できるだけ選択できるようにということもあります。

まずは、試しに行ってみて、自分の心や体で効果を確認しながら選んでいただくのがよいかと思っています。

今回、気功と神道という分野が異なる方法を取り上げていますので、両者で感じる”気”の違いについて、簡単に触れておきたいと思います。

管理人の場合、気功と神道で受ける“気”の印象はだいぶ違います。誤解を恐れずにあえて書けば、違いは以下のとおり。
(人によってはそんなことはない、とおっしゃる方もあるかもしれませんが、あくまで管理人個人が受けた体感を書いておきます。)

気功の“気”は、神道の気と比べれば、重厚で温かい感じを受けます。体には、血を送るために血管が全身に巡っているように、“気”の経絡(けいらく)が巡っています。その流れが詰まったりしてしまったとき、その詰まりをとって全身に“気”を流す、という感じを受けます。

卑近な言い方をすれば、水道管が詰まったときに、業者の方が高圧ジェットで流して詰まりを取りますが、そんなイメージです。気功は動作自体は、ゆったりとして穏やかですが、流れている“気”のエネルギーは、なかなか力強いという印象です。

神道から受ける“気”は、清々しく澄んでいるという感じを受けます。やはり人ならぬ“気”という感じですが、それは微細な感じです。禊ぎもそうですが、神道の作法は、自分の体の悪い“気”を出して、この“気”に入れ替わっていくという感じを受けます。濁った水を清流の水に入れ替えていく、そんなイメージです。音で例えれば、気功の“気”は、力強い低音ですが、神道の“気”は高い音という感じですね。

なお、管理人は同じ日に両方をしたことがありますが、両者の“気”が異なるからなのか、すこし体の“気”の流れがおかしな具合になる感じを受けました。より効果を適切に実感するには、期間をおいてなされたほうがよいかもしれません。ただし、これは気功を練功した場合のことで、記事で紹介している丹田呼吸のみであれば、問題ありません(神道にも同様の作法があります)。

なお、今回、特に管理人が神道の禊ぎを取り上げた理由は体験上、うつ病、パニック障害の場合、悪い想念などで心がネガティブな状態になっており、いわゆる汚れた“気”、“邪気”がたまりやすい状態にあるからで、まずはこれを拭い去ったほうがよいと感じるからです。

また、禊ぎは自宅のシャワーですぐにできる、ということもあります。最終的には、自ら体験してみて、自分の心や体が心地よい、と感じるものをしてみてください

そして、繰り返しになりますが、この記事で最初に紹介している“内なる神の認識”、“方法論”として述べている“内なる神性を心に据え置く”ということが、うつ病、パニック障害を根本から克服する一丁目一番地だと感じます。

内なる神について何らかのインスピレーションがあった方は、皆さんの内在する神、あるいは、内在する何かが感応したからだと思います。私の記事が、そのきっかけのお手伝いになったのなら、幸いだと思っています。

私が体験した方法は、今回紹介したもののほかにも、いろいろあります。
今後も記事を追加して紹介していきますので、折にふれて見ていただけると幸いです。

次の体験談(2)では、心の統制方法、落ち着かせる方法について紹介しています。
>>体験談(2)へ

 


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