うつ病、パニック障害を克服した体験談(2)

2020年4月24日

このサイトは、私こと管理人が、うつ病、パニック障害を克服する際に体験したさまざまな方法を紹介しています。当然ですが、ここで紹介している方法は、管理人自身が実際に体験し、効果を体感したものです

以下、サイトの構成です。
ポイントとなる部分を「トピック」として青いボックスで示しており、その部分を見れば、一目で方法がわかるようにしています。
▸ 「トピック」の内容を、管理人の体感をもとに補足した「管理人の補足」を、水色のボックスで示して、紹介しています。実際にされる際に参考にしてください。

ご覧いただく際には参考にしていただければと思います。

 

はじめに

体験談(1)では、うつ病、パニック障害を克服する“方法論”として、内なる神性を認識し、心に据え置くことが最重要ポイントだと紹介しました。

そういうふうに心を落ち着かせたいけれど、具体的にどうしたらよいのか、と思う方もいらっしゃるかもしれません。そこで、今回は、心を統制する、落ち着かせるという点で、いろいろな方法を紹介してみたいと思います。

なお、心の統制方法などと言えば、何か難しそうなイメージがありますが、ここで紹介する方法はシンプルです。一読いただければ、お分かりになるかと思います。

方法の紹介あたっては、体験談(1)の「内なる神」に準拠して、うつ病、パニック障害を克服する“方法論”としてお話するようにしています。特に宗派などは問いません。

それぞれの項目は独立した方法となっていますので、どれか一つでも実際に試してみて、自らの心と体で効果を体感しながら、取り入れていってみてください。

 

ソーハム

内なる神に心を落ち着かせる方法としての第1弾はこちら、ソーハムです。

インドの聖者サティア・サイババをご存じでしょうか?
一時期、非常に話題になって多くの書籍も出ていますので、ご存じの方もいらっしゃると存じます。

インドでは元首相をはじめ要人の信奉者も多く、先年、亡くなったときにはインドで国葬になったという経緯もあります。私はうつ病が苦しんでいたとき、インドに2回ほど会いに行きました。

その顛末はここでは割愛しますが、
サイババが提唱する心を統制する方法で、ソーハムというものがあります。
もともとはヨガにもあるそうですが、私はサイババのお話で知りました。

その方法とポイントは、以下のとおり。

ポイント・人は息を吸うときにはソー、吐くときにはハムという音がしている。
・ソーは神、ハム(アハム)は私という意味。
・呼吸を一息するごとに、神、私、神、私と言っている。
管理人の補足・息を吸うのに合わせて「ソー(神)」、吐くのに合わせて「ハム(私)」と心で唱えます。そして、呼吸と声に意識を置くようにします。
・管理人の場合は、心に不安があったり、悪い想念が離れないときにこれをすると、心が落ち着いてくる感覚がありました。
・神、といっても漠然とする場合は、体験談(1)で“神性”として挙げたものを、息をソーと吸うときに意識してもよいかと思います。例えば、“不変不壊”、“清浄”といったことです。あるいは、自ら信仰がある場合は、その神仏でもよいかと思います。

この方法は、いつでもどこでも、いまこれを読んでいる瞬間にもできる方法です。
何の難しいこともありません。

そして、自分の内には神があるのだ、神と一体なのだということを、呼吸の体感とともに思い起させてくれます。
うつ病、パニック障害にある自分は“本質”の自分ではなく、自分の“本質”を覆い隠している単なる現象にすぎないなのだ、ということです。

管理人の場合は、「管理人の補足」にあることと合わせて、ソー(神)と息を吸うときに、浄化されたエネルギーが入ってくるよう、ハム(私)と吐くときには体中に溜まった悪いエネルギーが息とともに出ていくようにしています。

こういったことも、自分で行って体感しながら、自分にあった形を試してみてください。

 

ナマスマラナム

サイババが心を統制する方法として提唱するものを、もう1つ紹介します。
ナマスマラナムというものがあります。

インドの言葉なので、聞きなれないカタカナでとっつきにくいと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、その内容はいたってシンプルです。

方法のトピックは、以下のとおりです。

ポイント・神の御名を心の中で繰り返し唱えて、意識を置く。

管理人の補足・神の御名といっても、特に信仰がない場合は、体験談(1)で神性として挙げたものでよいかと思います。例えば、”完全なる神“、”清浄なる神“といったことです。あるいは、お参りする神社がある場合は、その御祭神の御名でもよいのではないでしょうか。
管理人の場合は、伊勢に参宮するのが好きなので、
“天照大御神(あまてらすおおみかみ)”と心で繰り返し唱えるようにしていました。
「意識を置く」とは、心の中で唱えると、通常、自然にその言葉に意識を置く形になりますが、心に悪い想念などがあったり、体に苦しい症状などがある場合、意識が引っ張られる場合があります。そうした場合には、意識が自ら唱える心の声から離れないように置くということです。
・管理人の場合、心から不安が去らないとき、心から悪い想念が離れないときにすると、次第に唱えている神と一体であるという安心感、心が鎮まる感覚がありました。
・あくまで心の「内なる神」に向けて唱えるという感覚で唱えます。自分の「外にある神」におすがりする、という感覚ではありません。自らの“本質”である「内なる神」が、うつ病、パニック障害という現象の奥から姿を現し、自分を救ってくださるという感覚です。内に向かって唱えるか、外に向かって唱えるかでは、体感上、大きく異なるように感じます。

先ほどのソーハムと同様、こちらも内なる神との一体感を、心の声とともに思い起こさせてくれます
そして方法自体もわかり易く、特に難しいものではありません。
いつでもどこでもできる方法ですので、ぜひ試してみていただければと思います。

 

悪い”念”を去らせる方法

うつ病、パニック障害のときには、管理人自身もそうだったのですが、
悪い想念、妄念がなかなか自分の頭、心から離れない、ということもあるかと思います。
こうした悪い想念、妄念を去らせる方法を紹介してみたいと思います。

また、管理人の場合、なかなか言葉で表現するのが難しいのですが、体感として、何かの良くない気配、あるいは念を感じることがありました。こうした内容は、誤解を受けそうなのですが、あるいは同様に感じる方がいないとも限りませんので、正直に書いておきます。

霊感で何か見えるとかではないのですが、何か(何者か)の良くない気配、念を感じてしまうといった具合です。こちらに対しても有効な方法です。

方法としてはいたってシンプルなのですが、非常に効果があると感じます。

ポイント・悪い想念、妄念、気配に対して、「悪魔よ去れ。私と汝に何の関係があるか」と言う。

管理人の補足・単なる一言ですが、管理人の体感では、非常に効果がありました。
・単に一言、「悪魔よ去れ」だけでも十分に効果はあります。
・単なる日常の言葉としてではなく、自らの「内なる神」が発しているという意識で行うと効果的です。

聖書で、イエスが悪霊を追い払うくだりは有名です。イエスが「去れ」と言うと、その病人の体から出て行ったというお話です。管理人の場合、自らの中に「内なる神」があって、その神によってはらう、という意識で行ったところ、非常に効果がありました。

後日、神道家の山蔭基央氏も、その著書「神道の神秘」の中で、この方法が雑念、妄念を追い出す方法として一番効果がある方法と述べていることを知りましたが、なるほどと思いました。上記トピックの文言は、その抜粋です。
管理人の場合は、単に「悪魔よ去れ」と述べていましたが、それのみでも非常に効果があると感じました。

ぜひ試してみていただければと思います。

 

愛を”見る”

体験談(1)の神性のひとつに、このタイトルの”愛”を挙げていますが、うつ病、パニック障害を克服する“方法論”として、体験上、“愛”というのはキーワードにあたると感じます。

管理人がうつ病、パニック障害だったとき、自分が望んだわけではないのですが、心のほとんどを悪い出来事、人間関係、過去の記憶などによる悪い想念、不安、妄念が占めていて、見える世界は、どこか殺伐とした世界でした。

それもあって、うつ病、パニック障害のときは、“愛”というものに対する感受性が非常に低くなっていたのではないかと感じます。それは、何かその部分のセンサーが壊れてしまっているような感じです。この“愛”という単語すら、心に思い浮かばない状態だったかもしれません。

しかし、体験談(1)でも述べたように、”愛“は「内なる神性」として、自分の中に“本質”として内在するものです。ここで紹介する方法は、それを思い出させて、その感受性を回復する方法だと言えます。

今回、“愛”に特化した形で紹介するのは、管理人の場合、うつ病、パニック障害の症状の緩和に非常に効果があると感じたからです。そして、うつ病、パニック障害の克服に大いに役立ちました。

方法自体は、非常にシンプルです。本当にそれで効果があるのか、と思われるかもしれませんが、ぜひ試してみてください。

ポイントは、以下のとおりです。

ポイント・“愛”の眼鏡をかけて世界を見る

管理人の補足・ここで紹介している方法は、人や出来事といった個別の事柄に“愛”を見出していく、“愛”と解釈して捉えるようにしていくという方法とは、異なります
自分が見たり感じたりしている世界を、そのまま“愛”の現れとして見るということです。常に、この世界の存在そのものが、“愛”の現れであると見るということです。例えば、1人でいるときも、街を歩いているときも、世界をそのように見るということです。常に“愛という眼鏡をかけている”という感覚です。
・管理人の場合、世界をこのように“愛”を見るようにすると、実際に、自分のまわりに、あたたかく、やわらかな“気”のようなものが、常に自分を包んでいるような体感がありました。また、そのような“愛に包まれている”という感覚は、自らの心を非常に安心させる効果が感じられました。

言うまでもないことですが、ここでの“愛”は、必ずしも物質的、肉体的な情愛に限らず、広い意味のものです。

管理人の場合、このように“愛”として世界を見たとき、体の緊張がゆるむとともに、暖かな気に包まれている感覚が自然と体感されました。そして、胸のあたりで、体の気の流れを阻害していた詰まりがとれて、手足の冷えや、体全体の気の流れが良くなったように感じました。表現が難しいのですが、固く冷たくなっていた心に、気が通りはじめた、という感覚です。そういう意味では、心にダイレクトに効果がある方法なのかなとも感じます。

体の緊張がゆるむ、ということの関連で言えば、人の中にいると呼吸が浅くなる、過換気症候の改善もありました

この方法は、サイババの書籍にあったトピックの文言「愛という眼鏡をかけて世界を見る」というフレーズがきっかけとなりました。その言葉どおり世界を見たところ、体感的な変化をすぐに感じることができたためです。変な言い方になりますが、この“愛”という言葉の威力は凄いものだと体感しました

この“愛”という言葉は、キリスト教でも最も重要なキーワードであり、仏教でも同様の内容を指す“慈悲”、儒教では“仁”といった言葉が、やはり重要なキーワードになっています。世界の様々な文化によって表現は異なりますが、いずれでも重要なものと扱われていることは、注目に値することだと思います。

体験談(1)にある”方法論“としての「内なる神」において、人間の本質は神性であり、”愛“もそうでした。この自らの本質は”愛“であるという”方法論“とセットで、ここで紹介している「愛という眼鏡で世界を見る」ことをしてみてください。

ぜひ試してみていただければと思います。

 

空(くう)

“空”は、仏教思想の用語で有名なものです。ここではうつ病、パニック障害の方法論という点でお話したいと思います。

管理人は、うつ病、パニック障害だったとき、自分の周りにある存在が、心から離れず、自分にとって非常に圧迫感のある存在として感じられるということがありました。あるいは、過去の記憶や、ある一つの考え方が頭から離れず、心に迫るという感覚もありました。

なかには、周りとの関わりを、電話もメールも含めて一切絶ったらうつ病が治った、などという話も聞いたことがあります。ある意味、自分にはそれらは存在しないものとして、取り扱ったというやり方と言えます。しかし、周囲の存在とまったくかかわりを持たない、というのは社会生活を送るうえでなかなか大変です。

そこで、この”空“という方法になります。自分が世界を見る視点に、この方法を入れると、ぐっと心が楽になります。

ポイントは、以下のとおりです。

ポイント・すべて永続性のある実体をもたないものと見る。

管理人の補足要は「すべて移ろうもの」という視点です。あえて誤解を怖れずに言えば、“幻”であると言えます。
・「見る」というより「確認する」と言った方が適切かもしれません。すべて実体のない、移ろうものだということは、合理的に考えても分かることです。それが、体感的にも「見えてくる」というのが正しいかもしれません。
管理人の体感的には、すべてが“芯が抜けたような存在”に感じられることです。これによって自分に押し迫るような感覚が、だいぶ軽減されます。

この“空”という言葉の、体感的な一番の効果は、その“開放感”にあると感じられます。

今回は、仏教思想から”空“という言葉を持ってきていますが、すべてが永続性を持たない存在ということは、普通に考えても、至極もっともなことですしかし、日常生活を送っていると、そういう性質を忘れてしまう

例えば、心にインパクトのある人間関係、出来事があると、そこに自分の感情も絡まり、それが実体のある壁のような存在として感じられてしまう。一切のすべての存在が例外なく、実体のない”空“であるということは、その壁から”開放“してくれるように感じます。

あるいは、周囲の存在だけではなく、自分自身の自己像(自己定義)も固定した実体のように感じてしまうことがあります。職場、学校、家庭での自分のあり方、自己定義が、往々にして自分の心を縛り付けて、苦しい思いに駆られてしまう。

旅行など場所を変えて一時的にそうした自己定義から解放するということもありますが、それだとその世界から出たことになりません。むしろ自分のいるこの世界を、そのまま“開放”してくれるのが、この“空”という言葉ではないでしょうか。変な言い方をすれば、“空化”してみる、ということです。

ところで管理人は当初、この“空”という言葉、訓読みすれば「空(むな)しい」と読むように、すべての存在が無いという、何か“虚無的”な感覚で捉えていました。しかしこの、べては意味がなく虚無であるというのは、“悪取空”と言うそうです。文字どおり、悪くとった“空”ということですね。

仏教思想では、心が執着によって実体と見せかける世界を、“空”と知って抜けた先に、“本質”である仏性があると言います。このサイトでは、内なる神、神性と言っていますが、同じことと感じます。

この”空“という方法、ぜひ試していただければと思います。

 

世界一の幸せ者

うつ病、パニック障害の人に対して、幸せですか?と聞いたら怒られるでしょうか。
普通の反応としては、怒りますよね。

管理人はうつ病、パニック障害のとき、なぜ自分ばかりこうした苦しい思いをするのだろう、どうして自分がこうした境遇にあるのだろう、という気持ちがありました。世界を見渡せば、自分より苦しい状態にある人は、多くいるはずなのですが、そういう状況にあるときには、自分の知っている身近な人と比較して、自分ばかりがという感情を抱きがちです。

今回は、中村天風氏が、その当時、死病といわれた結核から氏が回復するうえで、自己を作りあげる端緒としたといわれる以下のエピソードから、方法を紹介したいと思います。なお、紹介するエピソードの内容は、関連書籍で紹介している「天風瞑想録」をもとに一部要約したものです。

急進性の結核にかかって、日本では治す術がなく、その治す方法を知るためにアメリカ、欧州などをめぐってインドに辿りついた天風氏も、先ほどと同じようなことを思っていたそうです。

得るものがなく日本への帰路の旅の途中でヨガの達人の師に邂逅し、インドに渡った天風氏が、インドのヒマラヤ山麓ふもとにある村で、日々、山に登って瞑想をするという修行をしていたときのことです。熱が八度五分ほどあって、時折、喀血するほど衰弱した病状だったそうです。

そんな状態で、ある朝、その師事する先生に挨拶すると、「おお、世界一の幸せ者よ!」と返されたそうです。うつ病、パニック障害だった管理人も、その当時に他人からそんなことを言われたら、さすがに怒ったかもしれません。

さすがの天風氏もひどい冗談だと怒ったら、その師匠は「本当のことを言っているのだ」と言ったそうです。「頭が痛い、熱があると言っても、生きているじゃないか。まず第一に、生きていることをなぜ感謝しないのだ」と。それを聞いた天風氏は、素直にも「なるほどそうだ」と思い、先ほどの自分を「罰当たりなことだ」と反省したそうです。

そして、この「生きているだけで嬉しい、幸せだ」ということを、先ほどのようなネガティブな心をもつ、それまでの自分を造り変える第一歩とした、というエピソードです。

天風氏はその後、そうした心の積極性こそが神と結びつけ、そのエネルギー(天風氏の言う全知全能である“気”)を多く取り込むことができるという事実を体得し、治るのは困難とされた結核が、そうした方法によって完治してしまいます。

管理人も思いますが、「生きている」という事実は、そうした存在が、自分をまだ「生きるべき存在」としている、ということではないでしょうか。あるいは、「生かされている」と言ってもよいかもしれません。

生きているだけで、“世界一”の幸せ者だ、という感覚。“世界一の”というのは凄いですね。

世界一というのは、最高度と言い換えることもできます。確かに、生きていなければ、その他の幸せなことも感じることができません。そういう意味で、あらゆる幸せを感じることができる「生きている」という事実は、最高度に幸せなことだと言えるかもしれません。

あるいは、自分が見たり聞いたりしている「自分の世界」というのは、自分の存在なくしては成り立ちません。そういう自分の世界にあって、その世界を成り立たせている自分が「生きている」という事実は、世界を成り立たせる、根源的な一番の幸せと言えるかもしれません。

管理人も、このエピソードから、何か苦しい症状、境遇にあって、心に否定的な想念や感情がどうしても湧いてしまうようなとき、このトピックにある方法をします。

ポイント ・心を切り替えて、生きている事実が「世界一の幸せ」であると感じてみる。

管理人の補足心に浮かんでいる想念、感情から意識を離し、「生きている自分」は「世界一の幸せ者」 だと心で感じてみる。あるいは、そのように心で唱えてみる。
・管理人の場合、この方法をすると、消極的な心の状態であっても、その中に積極的な視点を持つことができました。体感的には、生きているだけで、世界一の幸せということを思うとき、心に何とも言えない気持ちの良い感覚を体感することができました。

物事には、積極的な方面、消極的な方面の両面があって、できるだけ積極的な方面から見るべきだ、という話しを聞きますが、この方法は、あらゆる人は当然、生きているわけですから、どういう状況にあっても、積極的な視点を確保することができます。

そういう意味で、この方法を効果という面から見るなら、心を積極的にする最強の方法だと言えると思います。しかし、日常生活の中では、この生きているという事実を、奇跡的なことだと見る視点というのは、どうしても失いがちです。

折に触れて、そのことを思い出すうえで、この方法は有効だと思います。
ぜひ試してみていただければと思います。

 

惟神(かんながら)

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体験談(2)のまとめ

【更新中】

今回の紹介は以上になります。ご覧いただき、ありがとうございました。

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