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寛解期(山形での生活)

2009年の7月、私は山形に移りました。


妻の母親の家から少し離れたアパートに住むことになりました。

うつ病を発症してから、実に、4度目の引っ越しです。


ですが、この4度目の引っ越しで、私のうつはかなりよくなりました。


とりあえず、アパートから近くに、心療内科のクリニックがあったので、
そこへ通うことにしました。

現在も通っていますが、なかなかいい先生です。


山形へ来て、まず、始めにやったことは、やはりゲーム。

しかし、妻と二人っきりの生活が効を奏したのか、
一つのゲームをクリアしても、うつ状態には陥いらなくなりました。


しばらく、ゲームをする日々を過ごしていましたが、
ゲーム以外の自分の趣味にも興味を持つようになりました。

さらには、何か資格をとろうと勉強をするまで回復しました。


そして、2010年に入ってからは、何か自宅でできる仕事はないかと色々探し、
SOHOの仕事もしています。


再就職をするかどうか分かりませんが、
ネットビジネスで生計を立てていければいいなと考えています。

就職して、副業でネットビジネスが出来れば、それに越したことはないですが。


ただ、今は、充実した日々を送っています。
体がだるいときはたまにありますが、うつを感じることはほとんどありません。


ブログを作成するのが楽しいので、今はそれにはまっています。
一日中、パソコンの前で作業していても、苦にはなりません。


自分が好きなことをやっているからですね。

もちろん、息抜きにテレビを見たり、ゲームもやります。


また、妻は、大阪にいたときは、私を責め立てましたが、
今では、私の状態を気遣ってくれています。

私の母も、今は、妻のことを理解し応援してくれています。

うつを理解してくれるパートナーの存在というのは大きいですね。


毎日が楽しい・・・とまではいかなくとも、
少なくとも、妻と二人きりの生活で、小さな幸せを掴んでいます。



少し心配なのは、妻の母の状態ですね。
入退院を繰り返しているので、いつまでもつかはちょっと分かりません。

妻の母親を安心させるためにも、これから頑張らなければいけません。


一時は、寝たきりで、入院寸前まで追い詰められましたが、今は、ほぼ完治しています。


最後のキーワードは、自分のうつを理解してくれる人がそばにいる、ということになるでしょうか。

自分のうつを理解してくれる人がそばにいる

これが、四つ目の教訓になります。


そして、最後に一言。


うつ病は必ず治る病気です。
今現在うつ病で苦しんでいる方は、到底そんなことは考えられないかもしれません。
実際、私がそうでした。


しかし、回復した今になって思うことは、出口のないトンネルはないということです。
寝たきりのときは、まさにトンネルの中にいるような気分でしたが、
無事に抜けることができました。


今苦しんでいる方も決してあきらめないでください
私がよくなったのだから、あなたもきっとよくなります


必ず治るんだと信じてください。
大丈夫です。
あなたは、きっとよくなります

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