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妻の母がとうとう亡くなりました

とうとうこのときが来てしまいました。
覚悟はしていたのですが。。。


妻の母は末期がんであることはお話していましたが、
ここ数週間の間、入退院を繰り返していました。


私の妻は仕事を休み、母の世話をしていました。
いつ何時、何が起こってもおかしくない状態でした。
東京で働いていた長男さんも、10月に入ってから山形に帰省しました。


そんな最中、10月10日のこと。


妻は病院で泊まり込み。
長男さん、次男さん夫婦は朝に病院に駆けつけ、
私は昼すぎに病院へ行きました。


妻の母は意識がないようでしたが、
私たちに悲壮感のようなものはなく、
いつもと変わりなく、談笑モード。
たわいもない話で多少盛り上がったりもしていました。


夕方の6時前だったでしょうか。
次男さん夫婦が夕ご飯を買いにいくということで、
一旦、席を離れました。


病室には、長男さんと妻と私の3人。
相変わらずまったりと、どうでもいいような話を続けていました。


しかし、6時を過ぎたあたりのこと。
母親の心拍が急に下がり出しました。


これはもしかすると危ないかもということで、
慌てて次男さん夫婦に戻ってくるように電話。


すると、恐れていた通り、
母親の心拍はどんどん低下していきました。


「母ちゃん、もうちょっと頑張って!」
と嫁と長男さんは必死で励まします。


それでも心拍数はどんどん下がっていきましたが、
ようやく、次男さん夫婦が戻ってきました。
なんとか間に合いました。


5人でお母さんを一生懸命励ましましたが、その約5分後。
とうとう心拍が停止。


そして・・・


担当の女医さんが妻の母の脈や瞳孔を確認し、

「時刻午後6時●●分、お亡くなりになりました・・・」


とうとう、妻のお母さんは天国へと旅立ってしまいました。


妻は泣き叫ぶということはありませんでしたが、
しくしく泣いていました。

そして、お母さんの遺体に、
「母ちゃん、今までよく頑張ったね」と。


私は、どういう言葉をかけたらよいかも分からず、
ただ、妻の背中をさすっていました。


その後しばらくして、
お母さんの兄と弟に連絡。
2人とも駆けつけ、お母さんの遺体と対面しました。


お母さんのお兄さんは泣きながら、
遺体に向かって、

「おい、●子、何で死んでしまったんだ!
 母ちゃんまで死んでしまって、
 お前が死ぬことはないだろ!
 おい、目を覚ませ!」


悲痛な叫びが病室の中でこだましました。


やがて、お母さんの親戚や友人の方が何人か駆けつけました。


ほんの1時間前までは談笑していたのに。。。
アッという間の出来事でした。


天国へ旅立ってしまった妻のお母さん。
お母さんの人生は幸せだったのだろうかと考えていました。


幸せというのは、絶対的なものではありません

その人が自分は幸せだと感じている状態が幸せなのであって、
いわば相対的なものです。

その人が幸せだと感じながら最期を迎えることができたなら、
幸せだと言えるでしょう。


それを考えると、
妻の母は幸せに最期を迎えることができたのだろうか?
少し微妙な気がします。


ただ、せめてもの救いは、
最期の最期を子供全員で看取られたということ。

これはお母さんにとっても、
妻たち子供たちにとっても、
せめてもの幸せであったのではないかと感じます。


しかし、妻の祖母が亡くなったときもそうですが、
妻の母にも、私のしっかりした姿を見せることができませんでした。

それが、本当に無念で無念で仕方ありません。

妻と幸せには暮らしているとはいえ、
やはり、私のもっと成功した様子を見せて、
安心させたかった。

この想いはずっと消えることはないでしょう。

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