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再発期(実家・大阪での生活)

2007年の11月、
私と妻は大阪の実家へと移り、私の両親を含め4人で生活することになりました。


両親は、妻の心の病のことを知っていましたが、始めの印象はかなりよかったようです。


ところが、時が経つにつれ、その印象がだんだん崩れていきました。

妻の病気はかなりよくなっていましたが、
やはり、両親には理解できない非常識な行動をとることが多く、
それがもとで、特に母親が神経をすり減らしました。


妻は、両親を怖がり、あまり話すことがありませんでした。
そのため、お互いの意志疎通を図ることができませんでした。



そして、とうとう両者の亀裂を決定づける出来事が起きました。

私の母が、我慢の限界に達し、爆発してしまったのです。
お互い、泣きながら、言い合いをしましたが、両者の溝を埋めることはできませんでした。


母からは、何故あんな子と結婚したの?と言われ、
妹からは、お兄ちゃんは頭をうった方がいいんとちゃう?とまで言われました。


さらに、病院は、自宅近くの精神科に通っていましたが、
派遣の先生が主治医となり、
薬を処方するときはいつも「お薬辞典」を参照するという頼りなさでした。

しかも、癇癪を持っているのか、
自分の思い通りにならないと、すぐに不機嫌になり、怒り出すような人でした。

さすがに、こんな先生のもとではよくなるわけがない・・・


仕方なく、わりと評判のよいクリニックへと通うことにしましたが、
電車で40分もかかる遠いところでした。

しかも、患者数が多いため、待ち時間が異常に長く、
診察もあまり時間をかけてもらえません。

また、やたらと薬で解決しようとする先生で、
通院するたびに、薬が増えるような状態でした。


それでも、なんとか通院していましたが、
家の中では、嫁姑問題で板ばさみになり、
遂には、ほとんど寝たきりの生活になってしまいました。


毎日が、夜になるのをただ待つだけの生活で、これから先のことが全く見えません。

一体、自分はこれからどうなるのだろう?


クリニックの先生からは、精神科の病院に入院することを勧められました


そんななか、ある日のこと、
妻が、このまま実家にいたら自分も潰れてしまうので、
私と二人っきりで、どこかにアパートを借りて住もうと言い出しました。

私には、その提案に対しても、気力がなかったので、その時はどうでもよかったのですが、
両親を説得して、実家から少し離れたところに、アパートを借りることにしました。


引越しは、全て妻がやってくれました。

そして、2008年の6月に、妻と二人で、小さな部屋で暮らすことになりました。


妻は介護ヘルパーの仕事をしています。給料は少ないため、贅沢な暮らしはできません。
実家からも多少の援助をしてもらいました。


こうして、妻と二人っきりの生活が始まりましたが、暮らし始めて約1ヶ月後、大事件が起こります。
妻の母親が、末期がんであることが判明したのです。


妻の実家は山形で、母子家庭です。
兄も二人いましたが、やはり、妻の母の面倒を見るのは、妻の役目となりました。
そのため、妻は山形へ移ることになりました。


さて、私はどうしたものか・・・


もちろん、両親の元へ戻るのが普通でしょうが、
実家にいると、寝たきりのときの苦しい記憶が蘇ってくるため、
それがどうしても耐えられず、アパートで一人暮らしをすることに決めました。

正直、最初はかなり憂鬱でした。当たり前ですが。


ところが、ある日、転機が訪れます。

ふと、なんとなく、まだクリアしていなかったテレビゲームをしたくなったのです。
眠くなるまで、ゲームをやりましたが、その間、気づいたことは、

うつを感じていない!!

それからというもの、私は一日中、ゲームをやりまくりました。

しかし、ゲームをクリアすると、また、うつ状態に戻ります。


仕方がないので、妻に頼んで、新しいゲームと攻略情報を送ってもらいました。
そして、そのゲームをやり、クリアすると、また新しいゲームを。


これを繰り返していき、
ゲームをクリアする→うつ状態、また新しいゲームをする→うつを感じなくなる
こういうサイクルが出来上がったのです。

ゲームなんて、あまり建設的ではないですが、
実家にいたときは、ゲームをする気力さえなかったので、これは大きな前進だったと思います。


こうして、ゲーム三昧の日々を送っていましたが、
ある日、妻の母親が、私にも山形へ来てほしいという話が出てきました。


このままだと、いつ、妻が大阪に戻ってこれるかも分らないし、
夫婦がずっと別々で暮らすのもよくないだろうということでした。

私も、妻と一緒に暮らしたいのは当然なので、
両親と話し合った結果、山形へ行くことを決心しました。


そして、2009年の7月、私は山形へ引っ越しました。

いつも通り、引越しは全て、妻がやってくれました。


それにしても、大阪での生活は大変でした。

しかし、引っ越しをして、一人暮らしにもかかわらず、うつが改善されたのは、幸いでした。

やはり、ゲームとはいえ、うつを忘れるくらい熱中できたことが大きな要因でしょう。


うつの回復、予防に一番効果的な方法は、
自分が夢中になれる趣味などに没頭することではないかと私的には思っています。

重度のうつでも、少し元気が出てきたら、是非自分の好きなことに熱中してみてください。

自分の好きなことに熱中する

三つ目の教訓です。

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